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Jリーグ 6年前

横浜F、最後の天皇杯決勝で出場停止。薩川了洋が直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

身体能力だけじゃなくて頭も使わないと

 あれからもうすぐ20年か。早いよねえ。当時(フリューゲルスで)若手だったヤット(遠藤保仁)やナラ(楢崎正剛)が大ベテランだもんな。

 オレもJFLとはいえ監督やっているし、吉田(孝行)さんもJ1クラブ(ヴィッセル神戸)の監督だからね。どんどん時代は進んでいるわけだけど、そうした中でフリューゲルスのことを思い出して、こうして取材してくれるのはありがたいよね。時代が変わっても、絶対に忘れちゃいけないことだから。

 出身は清水市(当時)の興津っていうところ。幼稚園からサッカーをやっていた。清水ってご存じのとおり、当時の日本では最もサッカーの環境が恵まれていて、小学校のグラウンドにもナイター照明があったからね。

 暗くなってもずっとボールを蹴っていたから、そりゃあ上手くもなるし、あそこから何百人もJリーガーが出てくるよ。高校は清商(清水商業高校)に行ったけど、入学した時の3年が三浦文丈さん、2年が藤田俊哉さん。それで同期が大岩剛に名波浩。今じゃ鹿島とジュビロ(磐田)の監督だからね。

 DFをやるようになったのは、小学5年生の時から。それまでFWだったんだけど、その頃は身体もデカかったし足も速かったので、監督に「お前、DFやってみろ」と。やってみたら、誰もオレを抜くことができない。そのうち、足の早い相手を潰す職人みたいな感じになって(苦笑)。

 面白かったかって? ぜんぜん! だって高校では「こいつ、すげえ!」っていうヤツに出会わなかったからね、悪いけど。3年の時に日産と練習試合をして、柱谷幸一さんに背負われた時、「うわっ、岩みたいに動かねえ!」って思ったことはあったけど、高校生相手なら負ける気がしなかった。

 ただ清商にいたことで、身体能力だけじゃなくて頭も使わないといけないと気付かされたね。同じDFの大岩は、1対1ではオレの方が強かったけど、ボールコントロールでは彼のほうが上だった。

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