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Jリーグ 6年前

横浜F、最後の天皇杯決勝で出場停止。薩川了洋が直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

「守備能力はすごいけど、パスがなっていない」

現在は98年シーズンまで横浜フリューゲルスでプレーしていた薩川了洋
98年シーズンまで横浜フリューゲルスでプレーしていた薩川了洋【写真:宇都宮徹壱】

 ちょうどオレが入った年、センターバックの田口(禎則)さんがレフェリーを突き飛ばす事件があった(91年10月16日、コニカカップでの読売対全日空)。最初は1年間の出場停止で、7ヶ月に短縮されたけど、誰かが穴を埋めなければならない。

 そこで18歳のオレが、いきなりデビューしたわけ。試合中に足つっちゃって、たぶん緊張していたんだろうね。1年目は12試合に出場して、とりあえずプロでやっていける自信はついた。パスは下手だったけれど、守備に関しては誰にも負けないって思ったから。おかげで給料も一気にガンって上がったよ。

 Jリーグがスタートして、全日空がフリューゲルスになってからも、ずっと試合には出ていた。ヤマさんとサンパイオがボランチだったから、ふたりにボールを預けて、オレはエースを潰すだけ(笑)みたいに役割がはっきりしていた。

 その頃になると、日本代表もチラっと意識するようにもなったね。加茂(周)さんが監督の時、コーチの岡田(武史)さんが練習試合の視察に来ていた。あとでスタッフに聞いたら「守備能力はすごいけど、パスがなっていない」って言って帰ったらしい。まあそうだよね。自分でわかっていたもん(苦笑)。もうちょっとパスが上手かったらって、今でも思うことはあるよ。

(98年10月29日のことは)よく覚えているよ。前の日の夜、(三浦)淳宏から「サツさん、フリューゲルスが無くなっちゃうよ!」って電話がかかってきて。オレはてっきりふざけているのかと思って「なんだアツ、また酔っ払っているのか?」って電話を切ったんだよね。

 で、次の日の朝に練習に行ったら、練習場にやたら記者さんが来ていて、「ええ、本当かよ!」って初めて思った。そのあと会議室で社長から説明があって、かなり険悪な雰囲気だった記憶はある。そのあとの練習も、みんな暗い表情だったよね。

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