なぜ山口素弘は横浜Fについてこれまで一切語らなかったのか【フリューゲルスの悲劇:20年目の「真実」】

2018年03月26日(Mon)10時20分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya
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フリューゲルスのことを話さなかった理由

山口素弘
山口氏は横浜F消滅後、名古屋、新潟、横浜FCなどでプレーした【写真:Getty Images】

 最後の試合が終わって、国立(競技場)のロッカールームを出る時は、特に感慨深さみたいなのはなかったですね。前年の天皇杯で、負けたけど決勝に出ていたからかもしれない。2年連続で元日の国立で試合をして、「みんなお疲れ。明日からオフだね。じゃあ、またね」っていうくらいの感覚でしたね。

 オフが終わって、横浜から名古屋まで車で移動するときも、あんまり実感が湧かなかった。向こうで赤いジャージに着替えて、一緒に移籍してきたナラ(楢崎正剛)と「やっぱり似合わねえよなあ」って苦笑いして、それでようやくフリューゲルスが無くなったことを実感しました。

 その後、名古屋から新潟に移籍しましたが、自宅は横浜に残していました。練習場があった東戸塚には……ずっと行っていませんでしたね。あれからF・マリノスの練習場になってしまいましたから。別にF・マリノスが嫌いとか、そういうことではないんですよ(笑)。

 せいぜい「ダービーで負けられない相手」というくらいの認識でした。ただ何となく、あの場所には近づきたくなかったんです。それから横浜FCに移籍して、練習場が東戸塚になった時は逆に嬉しかったですね。クラブハウスの入り口には、フリューゲルスのエンブレムが飾られた跡がありました。

 横浜FCについては、最初からフリューゲルスとは「別のクラブ」という認識でした。別に変な意味ではなく、引退するまでは極力そういう情報を入れようと思ってなかったので。実は現役時代、何度か「フリューゲルスのことを話してほしい」っていう依頼がありましたが、一切お断りしていました。

 それは所属クラブに失礼だと思っていたから。「山口はフリューゲルスのことはもう忘れたんだ」なんて言い方をされたこともありました。でもその時の僕は、名古屋の選手であり、新潟の選手であり、横浜FCの選手だったわけです。だから引退するまでは、何も語りませんでした。

 僕にとってのフリューゲルスは「唯一無二の存在」です。もう無くなっているけれど、それでも僕はそこでプレーしていた。その事実は何ものにも代えられないですよね。実は引退後、元フリューゲルスの選手を集めて引退試合をする話がありました。僕としては三ツ沢でやりたかったし、あの時のメンバーで「フリューゲルス」の名前で開催したかった。

 でも、それはNGだと。そんな面倒な話になるとは思わなかったですよ。「だったら僕は(引退試合は)やりません」って言いました。「フリューゲルス」というのは、それくらい僕にとって「唯一無二の存在」だったんです。

<文中敬称略>

(取材・文:宇都宮徹壱)

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【了】

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