なぜ山口素弘は横浜Fについてこれまで一切語らなかったのか【フリューゲルスの悲劇:20年目の「真実」】

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。【後編】(取材・文:宇都宮徹壱)

2018年03月26日(Mon)10時20分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya
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サッカーを見たことがない全日空関係者たち。話にならない

山口素弘
合併の白紙撤回の可能性を最後まで信じ続けていた山口素弘氏【写真:宇都宮徹壱】

 練習の前に会議室に集められて、会社からの説明がありました。「謝罪会見の悪い例」っていう感じで、メモをずっと読んでいるだけ(笑)。僕らと目を合わせようともしない。読み終わって「以上」って感じで出ていきました、もう唖然ですよ。

 監督のゲルト(・エンゲルス)から、「いったん解散して、できる選手は午後にトレーニングをしよう」と言われました。僕は家に戻って、家族に話をしました。

 それから午後の練習に行ったんですけど、何だかお通夜みたいな感じで。心ここにあらずというか、情緒不安定というか、「こんなの練習じゃないし、サッカーじゃない」って思いましたね。

 練習の合間に、今後について何度もチームミーティングをしたり、全日空の人たちと話し合いをしたりしました。話の内容はまず「貴方はどなたですか?」ってところからですね。なぜなら、初めて会うような人でしたから。おそらくクレーム処理担当みたいな感じだったんでしょう。

 フリューゲルスとマリノスの関係も、よく知らないみたいで「同じ横浜に本拠地があるのでダービーの関係なんですよ」と教えても、きょとんとしている(苦笑)。「サッカーを見たことありますか?」って聞いたら「ありません」。これじゃあ、話にならないですよね。結局、合併を決めた人たちには会えませんでした。

 会社との窓口は、基本的に選手会長の(前田)浩二がやってくれていましたね。僕はキャプテンだったので、ゲルトと一緒に試合のことを考えていました。まだリーグ戦が残っていたし、天皇杯も控えていました。(合併の白紙撤回の可能性は)ゼロではないと信じていました。僕だけでなく他の選手も。

 だから、何の連絡もなく(12月2日に)合併の調印式が行われたのは腹立たしかったですね。「ふざけるな!」って思いました。遠征の時、全日空を使わずに新幹線を利用したこともありましたし、胸の「ANA」を手で隠して集合写真を撮ったこともありました。でもサツは間違えて「SATO」を隠していたんですよね(苦笑)。

 次の移籍先はだいぶ後になって決めました。その間に「ヴェルディに移籍」なんていう根も葉もない報道もありましたけど(苦笑)。名古屋に決めた理由は、とにかく「優勝したい」というのがありました。(92年に)天皇杯を獲ったけれど、リーグ戦でも優勝したかったんですよ。本当はそれをフリューゲルスで実現させたかった。

 この年のリーグ戦では、あまり順位は良くなかったけど(年間総合順位で7位)、優勝してもおかしくないくらいの戦力は揃っていました。それもあって、天皇杯もベストメンバーで挑むことになりました。

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