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Jリーグ 6年前

岡山社長からJ専務理事へ。木村正明に燻り続けた「悔い」の正体、歩んできた激動の半生

text by 藤江直人 photo by Getty Images, Yasuhiro Suzuki, Naoto Fujie

岡山に尽くして12年目。Jリーグ専務理事就任への思い

木村正明
村井満チェアマン(左)の下で、木村正明氏(右)のJリーグでの新たな挑戦が始まる【写真:藤江直人】

 代表取締役に就任したときのファジアーノはスポンサーがわずか6社で、500万円の資本金に対して負債が1000万円を超える絶望的な状況だった。いまではJ1を狙える位置にまで劇的な変貌を遂げた最大の要因は、地元を地道に回りながら木村氏が交換し続けた、5万枚に達する名刺が如実に物語っている。

 まったくの異分野だったサッカー界で存分に発揮された経営者および実業家としての手腕を、今度はJリーグの村井満チェアマンに見込まれた。J3までを含めた合同実行委員会が開催された2月16日。定刻よりも30分早く来られないか、と村井チェアマンから連絡を受けた。

「部屋に呼ばれて、そこで直球を投げ込まれて。ちょっと凍ってしまいましたね。今回のほうが(決断するまで)時間がかかりました。とにかくイエス、ノーにしてもすぐに答えを出さなければと思い、翌日の昼まで待っていただいて、さらにもう1週間延ばしていただいた感じで」

 現在はアルビレックス新潟の代表取締役社長を務める中野幸夫氏が退任した、2016年末から空席となっていた機構内でNo.3のポジションで、実務面における最高責任者となる専務理事に就任してほしいというラブコール。村井チェアマンが投げ込んできたど真ん中のストレートは木村氏にとって青天の霹靂であり、同時に新たなモチベーションをかき立てられた。

 ただ、専務理事職は常勤となり、兼任することはできない。岡山の代表取締役に就いて12年目を迎え、集大成にするとスタッフと誓い合っていた2018シーズンの開幕を直前に控えた段階での決断。当然ながら地元には反対の声もあがり、一存では決められないからこそ1週間の時間を要した。

「自分が(岡山を)離れるということに対して、率直なお話をさせていただくのにちょっと時間が必要でした。いろいろな思いがあるなかで、最初はだいぶお叱りも受けましたけど、クラブが光るためにはリーグそのものが光ることも同じくらい大事であり、非常に意義のあることなので、そこはご理解をいただけたと思っています」

 Jリーグが産声をあげてから、来たる5月15日で25周年を迎える。新たな歴史の扉が開く前に生まれていたサッカー界との縁は、木村氏が抱き続けたサッカーへの「悔い」を触媒として強く紡がれ、ファジアーノでの日々で得た知見を介して一気に輝きを増して、次の四半世紀へ向けて改革を進めるJリーグの新たな力になろうとしている。

(取材・文:藤江直人)

【了】

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