02年日韓大会。俊輔、衝撃の落選も揺るがず。“奇人”トルシエと個性派集団で16強【日本代表W杯の記憶】

日本代表は30日に行われるガーナ戦に向けた27人のメンバーを発表した。この27人からロシアワールドカップを戦う23人に絞り込むのが基本線となるが、西野朗監督はどのようにチームを作るのか。一定の成功と大きな失敗を繰り返してきた日本代表の過去から学ぶべきことは? 第2回は00年日韓大会。(取材・文:元川悦子)

2018年05月22日(Tue)10時20分配信

シリーズ:日本代表W杯の記憶
text by 元川悦子 photo Getty Images
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3カテゴリー指揮で浸透させた「フラット3」

日本代表
日韓W杯に挑んだ日本代表メンバー【写真:Getty Images】

 98年フランスワールドカップ3戦全敗と世界との力の差を痛感させられた日本。後を引き継いだのは、ご存じの通り、フランス人のフィリップ・トルシエ監督だった。

 98年10月のエジプト戦(大阪・長居)から指揮を執り始めたトルシエは2000年シドニー五輪代表を目指すU−21代表監督を兼務。さらに99年1月からはワールドユース(ナイジェリア)に挑むU−20代表指揮官にも就任した。

 3カテゴリーの代表を1人の監督が見るというのは、異例中の異例。それでも当時のU−20世代には小野伸二や稲本潤一(ともに現・札幌)、高原直泰(沖縄SV代表)、中田浩二(鹿島CRO)といった逸材が揃っていたから、彼らを土台にしつつチームを構築していけるという大きなメリットがあった。

 そうやって2000年シドニー五輪、2000年アジアカップ(レバノン)と着実に強化を図り、オートマティズムのある集団を作り上げたことで、トルシエは自信を持って本大会を迎えることができたはずだ。

 2002年に入ってからは1月の指宿合宿を経て、3月のウクライナ戦(大阪・長居)、ポーランド戦(ウッジ)で2連勝を飾るなど、悪くないワールドカップイヤーの入りを見せた。

「フラット3」の重要な担い手の1人である森岡隆三(鳥取監督)が長期離脱中でこの2試合には出ていないが、宮本恒靖(G大阪U−23監督)、松田直樹、中田浩二という3人の連係は完成度が高かった。

 ポーランド戦では彼ら守備陣が確実に相手を封じ、中田英寿と高原がゴールを挙げて2-0で圧勝。ワールドカップ出場国を敵地で倒したことでチームに大きな弾みがついた。

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