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代表 6年前

コロンビア社会をも変えたハメスの輝き。甘いマスクの大エース、その知られざるルーツ【ロシアW杯】

text by 北澤豊雄 photo by Getty Images, Toyoo Kitazawa

ハメス少年を支えた家族の存在

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アカデミア・トリメンセの事務所で取材に応じる監督のアルマンド・ジュルブライネルさん(2014年6月撮影)【写真:北澤豊雄】

 試合はコロンビアが優勢だった。90分、ペナルティエリア付近のやや左側でパスを受けたハメスが走り込んで左足を振り抜いた。ゴールネットに低い弾丸が突き刺さると、スタジアムが地響きのように揺れた。2-1の勝利。コロンビアは続く韓国戦にも勝って決勝トーナメントに進出。準々決勝でメキシコに敗れたものの、その存在感を見せつけ、3年後のブラジルワールドカップに弾みをつけた。

 国際的にまだ無名だったハメスは、コロンビアのスタジアムの客層を変えたといっても過言ではないのだ。

 あれから7年――。世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たし、ドイツはブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンで中軸を担うハメスは、1991年7月12日にベネズエラとの国境の街ククタ市で生まれた。

 7歳のときに移住した人口約55万人のイバゲ市は、坂が多く、年間を通じて日本の春のような気温が続く。ハメスが入団した少年サッカークラブ「アカデミア・トリメンセ」の入団要項を見てみよう。

・15分前には来ていること
・服装はサッカーに適したもので
・シャツの色は黄色か白で
・靴はサッカーシューズかテニスシューズで
・チームでは、真面目な態度や礼儀が求められます

 プロチームの下部組織のような厳しさはない。この環境が、ハメスの才能を受け入れ、伸びしろを残してくれたのかもしれない。監督のアルマンド・ジュルブライネル氏が当時を振り返る。

「子供っぽかったけど左足のプレーがうまくてね。要領もよく先輩たちとの練習に参加してもすぐに適応できた。ただし、それだけじゃ成功できない。彼の場合は家族の支えと協力があった。ハメス以上に才能のある子はいたけど、酒に溺れたり道を逸れたり若くして事件に巻き込まれたりした。クラブ史上最高のプレイヤーだった子は射殺されている。そんな事例はこの国ではたくさんあるんだよ。だからうちのクラブでは入団時に親との面接を重視する。いくら才能があっても家庭環境が悪いと道を誤る。彼は家族に恵まれた」

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