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代表 6年前

ウルグアイ代表、強さの秘密。老将タバレスの育成改革、常に全力を保証する「JRC」とは?

text by 舩木渉 photo by Getty Images

途切れた「ライン」を繋ぎ合わせ…

 確かに2001年から2005年まで3大会連続で切符を逃していたU-20ワールドカップには、2007年から6大会連続で出場。2017年の韓国大会で4位に躍進した世代は、同大会の予選にあたる南米ユース選手権で36年ぶりに優勝を果たしていた。

 U-17ワールドカップはここ2大会連続で出場圏獲得に至っていないが、2009年から2013年まで3大会連続で出場し、2011年大会は準優勝、それ以外は準々決勝進出と確かな存在感を発揮している。

 こうしてユース世代の育成に力を入れるようになった背景には「世代間を繋ぐラインが途切れてしまった時期があった」とタバレス監督は語る。

 1924年のパリ五輪と1928年のアムステルダム五輪で2大会連続金メダルを獲得し、1930年にはワールドカップの初代チャンピオンになった。しかし、その後は冬の時代が続き、1950年にブラジルで2度目のワールドカップを勝ち取るまで長い時間を要した。

 ただ、苦難は続いた。1958年のスウェーデンワールドカップに向けた南米予選に参加したウルグアイは、パラグアイにアウェイで0-5の大敗を喫するなどして敗退。1970年のメキシコワールドカップでは4位入賞を果たしているものの、世界の舞台に立てたり立てなかったりを繰り返していた。

 1990年代に入ってからは、1994年のアメリカ大会、1998年のフランス大会と連続でワールドカップ出場を逃し、2002年の日韓大会はグループリーグで1勝も挙げられずに敗退。そして2006年ドイツ大会出場権をつかみ損ねたことで、タバレス監督が呼び戻された。

 継続的に結果が出せず、まさに「ラインが途切れてしまった」状態から育成改革をA代表の強化につなげた名伯楽は、2010年の南アフリカワールドカップでウルグアイ代表を再び世界のサッカーの中心に連れ戻した。翌年にはコパ・アメリカも制し、15度目の南米王者になった。

 それから月日が経ち、71歳になったタバレス監督はギラン・バレー症候群(筋肉を動かす運動神経に障害が出て四肢に力が入らなくなる病気)によって、どこへ行くにも杖が手放せなくなった。だが、“エル・マエストロ”(タバレス監督の愛称=「先生」の意味)サッカーに対する熱意は全く失われていない。

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