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久保建英とメッシは似ていない。あえて挙げるなら…。今こそ知るべき特別な才能と発展途上の現在【西部の目】

シリーズ:西部の目 text by 西部謙司 photo by Getty Images

“見守られている状態”は間もなく終わる

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久保建英の才能は特別だ【写真:Getty Images】

 試合後のミックスゾーン、久保に話を聞ける日と聞けない日があった。ある意味、取材陣側の「忖度」である。

 試合に出ていない日や活躍していないときまで群がられるのは、何か違うのではないかという気持ちはわからないでもない。インドネシアで取材している記者たちは、私を除けばほとんどがこのチームを継続的に取材している人たちなので、肝心なときに久保のコメントをとるために、「今日はスルー」という意思疎通はスムーズだった。巧みなオフサイドトラップのように乱れがない。

 ただ、毎回話を聞かれている選手もいる。特別扱いされたくないのに、特別扱いになっているという、何だか中途半端な状態ともいえる。

 早熟系でもフィジカルに特徴があるタイプは、17歳でもほぼ大人と変わらない。キリアン・エムバペは19歳で世界王者になっているが、2年前もすでに我々の知っているエムバペだった。一方、テクニックやセンスが先行する早熟型は出来上がるまでにもう少し時間がかかる。17歳と23歳では、かなり違うプレーヤーになっていても不思議ではない。

 久保はチャビ・エルナンデスの言う「ファーストコントロールで360度ターンできる」タイプの選手で、コンマ数秒でプレーを変えられる幅がある。顔も常に上がっていて相手を見て反応できる。左足のキックの精度も高い。狭いエリアでプレーできる。

 いわゆる「違いを作れる」選手なので、U-19でもそこを期待されている。才能は特別だ。一方、トータルではまだ特別ではない。いずれ特別な選手になるという期待から、大事にされているのが現状だ。17歳でも掛け値なしに評価して差し支えなかったウェイン・ルーニーやディエゴ・マラドーナとは違う。現在の久保はまだ発展途上であり、17歳の選手としてノーマルでもある。

 だが、協会、取材陣、ファンから見守られている状態も、もうすぐに終わるだろう。少し良いプレーをしただけで「天才」と騒がれる時期は過ぎ、小さなミスにメディアが群がり、いっせいに批判され、理不尽にもいっさいがっさい背負わされる。本当に特別な選手の宿命であり、それは彼が特別である証でもある。

(取材・文:西部謙司)

【了】

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