トルシエが注いだ情熱が結実した瞬間。準優勝を果たした黄金世代のメンタリティとは?【日本代表平成の激闘史(6)】

時代は平成から令和へと代わり、その間、ワールドカップに6回連続出場を果たすなど、日本代表は大きな躍進を遂げた。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい日本代表名勝負を振り返る本企画。今回は平成11(1999)年にナイジェリアで行われた、ワールドユースでの日本代表の戦いを回顧する。(文:元川悦子)

2019年05月17日(Fri)10時00分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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二足の草鞋に加えて…

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スペインとの決勝戦に臨むU-20日本代表【写真:Getty Images】

 平成10(1998)年のフランスワールドカップ3戦全敗の屈辱を経て、日本代表は自国開催の平成14(2002)年日韓大会へと向かった。岡田武史監督の後を継いで、フランス人のフィリップ・トルシエが監督に就任した。

 A代表と平成12(2000)年のシドニー五輪代表を目指すU-21代表(当時)の2チームを兼務すべく、平成10(1998)年10月に来日したフランス人指揮官は、小野伸二ら20歳前後の若手の方が、ベテラン世代より技術・戦術レベルに秀でている点に注目。彼らに情熱を傾けていった。

 当初はA代表と五輪の2つの代表監督を兼務するのみだったが、平成11(1999)年1月になると、それまで清雲栄純監督が率いていたU-20代表の指導も開始。この年に行われたナイジェリアで行われたワールドユースも指揮することになった。

 この頃、トルシエには逆風が吹き荒れており、就任わずか半年で解任論も浮上しつつあった。それを払拭するためにも結果がほしい。「自分がよく知るアフリカの地で、才能ある選手たちと戦えば、躍進のチャンスがある」と考えたからこそ、わざわざユース代表監督に就任したのだろう。

 直前の2月には隣国・ブルキナファソに遠征。現地の不衛生な宿泊先で現地の食事を摂らせ、10時間を超えるバス移動で試合をさせるというタフな試みも行って、本番を迎えた。

 しかし、立ち上がりは決して順調ではなかった。4月5日の初戦・カメルーン戦。日本はGK南雄太、DF(右から)辻本茂輝、手島和希、中田浩二、右サイド・酒井友之、左サイド・本山雅志、ボランチ・遠藤保仁、攻撃的MFに小笠原満男と小野、2トップに永井雄一郎と高原直泰の3-5-2の布陣で臨んだ。

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