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96年フランス対ポルトガル。ジダンが引き起こした一瞬の静寂。時代の主役となった1プレーとは?【私が見た平成の名勝負(3)】

国内外で数多の名勝負が繰り広げられた約30年間の平成時代。そこで、フットボールチャンネルは、各ライターの強く印象に残る名勝負をそれぞれ綴ってもらう企画を実施。第3回は平成8(1996)年1月24日に行われた、フランス対ポルトガルの戦いを振り返る。(文:西部謙司)

シリーズ:私が見た平成の名勝負 text by 西部謙司 photo by Getty Images

パリの夜に浮かぶ1つのボール

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1996年1月24日に行われたフランス対ポルトガルに出場したジダン【写真:Getty Images】

 その夜の月のように、ボールは空中にぼんやりと浮かんでいた。

 フィールド上の選手、パルク・デ・プランスを埋めた観衆、テレビの前の視聴者……。そのボールの意味を理解した者はおそらく誰もいなかっただろう。もちろん、ただ一人を除いて――。

 1996年1月24日に行われた親善試合、ポルトガル戦はエメ・ジャケ体制になってから18試合目だった。およそ2年間、フランス代表は一度も負けていない。結局、このチームは世界王者になるまでの4年間に3敗しかしていないのだが、世界の頂点に立つまでジャケ監督とチームは批判され続けていた。優勝直後の、「(批判し続けたレキップ紙を)決して許さない」と言って終わった記者会見はある意味衝撃的だった。

「このときに私のチームは始まった」(エメ・ジャケ)

 クレール・フォンテーヌの監督室に飾られていたのはキリンカップの写真だ。監督就任後に2試合を消化した後、レ・ブルー(フランス代表)は日本に来ている。オーストラリアに1-0、日本に4-1。キリンカップは彼らの初タイトルだった。このときに自信を回復することができたのだと言う。米国ワールドカップへ向かうはずの5月だった。

 1993年11月17日、パルク・デ・プランスでブルガリアに引き分けさえすれば米国行きは決まっていた。ところが終了間際の失点、1-2で敗れる。そもそも、勝てば予選突破が決まっていたイスラエル戦を2-3で落としたことが間違いだった。

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