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日本代表 5年前

前田大然は”韋駄天苦戦の歴史”を覆すか。ポルトガル移籍を決めた理由と先輩が残した教訓【コパ・アメリカに挑んだ若き日本代表の今(3)】

シリーズ:コパ・アメリカに挑んだ若き日本代表の今 text by 元川悦子 photo by Getty Images

転機となったコパ・アメリカ

「そんなに器用な選手じゃないし、普通に考えると海外では難しいけど、自分のよさを出すしかない」と反町康治監督も苦言交じりのエールを送る。21歳のスピードスターは1年後の2020年東京五輪出場の夢を叶えるため、思い切ったチャレンジに踏み切ったのだ。

 山梨学院大学付属高校から2016年に松本入りし、水戸ホーリーホックへのレンタルを経て2018年に復帰してからは、コンスタントにピッチに立ち続けてきた前田。その爆発的スピードが日本代表の森保一監督にも買われ、東京五輪の有力候補と位置付けられてきた。

 同世代の板倉滉や堂安律らが海外移籍を選ぶ中、本人も「いずれは外へ出たい」と感じていたが、J1で戦うのは今季が初めて。育ててくれたチームに恩返ししたいという気持ちもあって、この半年間は献身的なプレーを続けてきた。

 その思いが大きく変化する契機となったのがコパ・アメリカ参戦だ。大会直前に久保建英のレアル・マドリー行きが決まり、安部裕葵にバルセロナからオファーが届く中、前田も「もっと高いレベルに身を投じないと競争に勝てない」と危機感を強めた。

 準々決勝進出の懸かったエクアドル戦で終盤のビッグチャンスを逃して「自分がここに来てよかったのか…」と失望感を口にした時、本人の中では「ここままではいけない」という感情が渦巻いたに違いない。

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