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浦和レッズFWファブリシオ、若き日の勘違いと娘の死を語る。困難乗り越え再び世界の舞台へ

text by 編集部 photo by Getty Images

ファブリシオ
浦和レッズに所属するFWファブリシオ【写真:Getty Images】

 浦和レッズに所属するFWファブリシオが、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝を前に母国ブラジルの『ESPN』のインタビューに応えた。

 その内容が最初に世に出たのは先月26日のことだが、数日経ってポルトガルメディアでも話題となっている。ファブリシオがプロキャリアのほとんどを過ごし、評価を高めたのはポルトガルだったからだ。

 母国の名門ボタフォゴに所属していたファブリシオは、2011年に当時ポルトガル2部に所属していたポルティモネンセに移籍して欧州上陸を果たす。だが、彼は念願叶っての欧州挑戦にあたって、大きな勘違いをしていたという。

「ポルトガルに渡る前から、僕はずっとヨーロッパでプレーしたいと思っていた。でも、フットボールをあまり真剣には追っていなかったし、チームのことも知らなかった。名前を勘違いして、『ポルト』と混ざってしまっていたのを覚えているよ(笑)

ポルトガルの空港に到着した時、入国管理官が僕に『何のために来たのか?』と訪ねてきた。僕は『サッカー選手だ』と答えた。彼は『どのチーム?』と返してきた。僕は(ポルティモネンセ)の名前を知らなくて、ポルトのBチームに入るものだと思っていた(笑)。最初に考えたね。『僕はここで何をしているんだ?』って」

 そうしてポルティモネンセの一員となったファブリシオは、クラブの歴史に刻まれる選手となる。途中で中国や鹿島アントラーズでのプレーを挟みながら、7シーズンにわたってポルティモネンセで活躍。2016/17シーズンには2部から1部への昇格にも貢献した。

 鹿島時代にはクラブワールドカップ出場も経験し、決勝でレアル・マドリーを追い詰める。あれから3年、ACL優勝を果たせば再び世界への挑戦権を手にすることができる。ファブリシオはアジアの頂点をかけた2試合を前に、キャリア最大の困難についても振り返った。

 それは2015/16シーズンのこと。当時2部だったポルティモネンセはポルトガルリーグカップのグループリーグで強豪スポルティングCPを破るなど番狂わせを起こし、準々決勝に進出する。結局はマリティモに敗れてベスト8敗退となったものの、当時のポルティモネンセにとっては快挙だった。だが、ほぼ時を同じくして娘の死に直面することになる。

「僕たち夫婦の娘が未熟児で産まれて、数時間後に亡くなってしまった。僕の人生で最も辛い出来事だった。娘のことは本当に悲しい。僕はもうこれ以上プレーしたくないとさえ思っていた。僕が望んでいたのは妻に力を与えることだけだった。振り返ると、どうやって乗り越えたかすらわからない。僕たちに力を与えてくれるのは神だけだ」

 人生最大の困難を乗り越え、再び日本にやってきたファブリシオは浦和で欠かせない選手になった。今では生後2ヶ月の息子もいる。「生活費はポルトガルよりもずっと高くつくけど、僕たち家族は日本が大好き。教育も治安も素晴らしいし、とても清潔で整備されていて静かだ」という日本では、ひざの大怪我も克服して見事にカムバックを果たした。

「僕はもうボールを蹴ることができないんじゃないかと恐れていたけど、いいリハビリができて、100%で戻ってきた。僕のひざは全く問題ないよ」

 11月9日にはACL決勝1stレグが控えている。浦和の一員として再び世界に挑戦する権利を掴み取れると、ファブリシオは信じて疑わない。

「僕たちはまた新たな素晴らしいチームと対峙する。でも、僕たちはチームワークを信じているし、タイトルに到達できると思う。僕は本当に幸せだ。ずっとACLという大会プレーしたいと思っていたんだ」

【了】

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