ロナウジーニョがバルセロナの救世主だった時代。ジダン、フィーゴ、ロナウドも霞む圧倒的な技巧と存在感【バルサの20年史(2)】

世界のフットボールシーンは、この約20年で大きく変わったと言える。選手の契約と移籍のあり方が変わり、名門クラブも栄枯盛衰を経験している。今回は120年を超える歴史を持つバルセロナの現代史を複数回に渡って辿っていきたい。(文:西部謙司)

2020年03月17日(Tue)10時00分配信

シリーズ:バルサの20年史
text by 西部謙司 photo Getty Images
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救世主となったロナウジーニョ

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【写真:Getty Images】

 2003年の会長選挙で選出されたジョアン・ラポルタは、ヨハン・クライフに近い人物だった。

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 このころのクライフはメディアを通じてバルサへの厳しい意見を述べていた。監督のころからホセ・ルイス・ヌニェス会長と対立し、クラブを離れてからは最も手強い批判者だった。クラブの成績下降とは逆にクライフへの再評価が高まっていた。20年以上続いたヌニェス会長と後継者のジョアン・ガスパール会長の時代が完全に終焉を迎え、ラポルタ会長の誕生はクライフの影響が強くなることを意味していた。

 ラポルタ新会長の公約の1つはデビッド・ベッカムの獲得。ところが、ベッカムはバルサではなくレアル・マドリーと契約してしまう。ベッカム獲得が難しくなった段階で、ターゲットをパリ・サンジェルマンのロナウジーニョに切り替えた。マンチェスター・ユナイテッドとの争奪戦を何とか制して獲得している。

 新監督にはフランク・ライカールトが就任。クライフの第一候補はマルコ・ファン・バステンだったようだ。ロナウジーニョでなくベッカム、ライカールトでなくファン・バステンがバルサに来ていたとしたら、その後の歴史も違っていたかもしれない。

 ロナウジーニョはバルサの救世主となった。

 2002年日韓ワールドカップではブラジル優勝の立役者の1人だったが、この時期の評価はかつてバルサに所属したロナウド、リバウドのほうが上だったと思う。ただ、パリ・サンジェルマン(PSG)での活躍ぶりは凄まじいものがあり、まさにピークを迎えようとしていた。超絶技巧とインスピレーション。スピード、パワーも抜群。問題は素行である。パリでの夜遊びは公然の秘密になっていて、バルセロナではナイトライフが充実しそうにないので移籍を渋っているという噂さえあった。しかし、PSGでは監督との間に問題も抱えていて、どこかはともかく移籍は時間の問題でもあった。

 いつも笑っていた。ウォーミングアップもチームとは別で、柔軟体操もボールなしではやらない。プレーは自由奔放。たぶん夜遊びも絶好調。しかし、ロナウジーニョは自信満々で、輝く太陽のように沈み込んでいたチームに光を与えている。

 03/04シーズンこそリーグ2位だったが、続く2シーズンは連覇を達成。05/06はドリームチーム以来のクラブ史上2度目のCL制覇も成し遂げた。その原動力は間違いなくロナウジーニョである。

ドリームチームの再来

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【写真:Getty Images】

 カンプ・ノウの地上階と記者席を結ぶエレベーターの中で、突然乗り合わせた人が歓声を発し、周囲の人とハイタッチを交わしていた。

「レアル・マドリーが負けたんだよ」

 それで盛り上がっていたのだ。この夜、バルセロナは試合に負けていた。地元のバルサが負けていても、他会場でレアルが負けたのを知って喜んでいる。ライバル関係というのはこういうものではあるが、バルサが負けてもレアルではこうならないような気がしたものだ。バルサは常にレアルを見ているが、レアルはそこまで気にしていない。そういう関係だったと思う。

 4連覇したドリームチームのころにも変化はあったが、完全に払拭したのはロナジーニョが来てからではないだろうか。レアルの銀河系の前に影が薄くなっていた時期に来たブラジル人は、バルサファンのコンプレックスを吹き飛ばした。ジダン、フィーゴ、ロナウドも霞む圧倒的な技巧と存在感、そしていつもニコニコと笑っている。プレーするのが楽しくてしょうがないというように。自分たちが幸福なら、他人の不幸で喜ぶこともない。

 04/05シーズンはサミュエル・エトオ、デコが加入、リオネル・メッシが昇格してきた。ASモナコから来たジュリーが右、ロナウジーニョが左、センターにエトオの3トップが形成され、左のインテリオールにはデコが配置されてロナウジーニョとコンビを組んだ。チャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタのカンテラ育ちがチームの中枢を担うようになり、かつてのアイデンティティも復活した。

 圧倒的なパスワークと攻撃力、ドリームチームの再来だった。

終わりと始まり

 ラポルタ会長はその後も意欲的に補強を行っている。06/07にリリアン・テュラム、ジャンルカ・ザンブロッタ、エイドゥル・グジョンセンを加え、07/08にはティエリ・アンリ、ヤヤ・トゥーレを獲得した。しかし、連覇の後の2シーズンはリーグもCLも勝てずに終わってしまう。

 この2シーズンはエトオとメッシの負傷による長期離脱があったが、それ以上に響いたのがロナウジーニョのコンディション低下である。

 その最盛期には「永久契約すべきだ」とまで言われたロナウジーニョだが、バルサの英雄は、力が落ちれば手のひらを返されるのがこれまでの歴史でもあった。カンプ・ノウ建設につながる集客に貢献したラディスラオ・クバラ、その前に大人気でレス・コルツを建設させたジョゼップ・サミティエールは、いずれもバルサで選手人生を全うしていない。

 ロナウジーニョも例外ではなく、07/08シーズンを4シーズンぶりの無冠で終わるとバルサを去ることになった。静かな統率力で5シーズンを指揮したライカールト監督も退任。デコも移籍し、エトオも移籍濃厚といわれていた。

 輝かしいサイクルは終わり、出口の先には再び迷走期が訪れる予感も漂っていた。だが、そこはクラブ史上でもピークといえる黄金時代の入口だった。

(文:西部謙司)

【了】

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