名古屋グランパス、歴代最強外国籍選手5人。ストイコビッチの偉業、タイトルをもたらした男たち

1993年に開幕したJリーグ。その間、世界的なスター選手や素晴らしい素質を持った外国籍選手たちが活躍している。今回は、名古屋グランパスで活躍した外国籍選手を5人紹介する。(2020年4月掲載の記事を再編集したものです)

2020年04月24日(Fri)7時15分配信

シリーズ:編集部フォーカス
text by 編集部 photo Getty Images
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選手でも監督でも頂点に立った“ピクシー”

Grampus_1995
1995シーズンの基本先発メンバー



ドラガン・ストイコビッチ(元ユーゴスラビア代表)

生年月日:1965年3月3日
在籍期間:1994年〜2001年
J1通算成績:184試合出場/57得点


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 マルセイユのフランス2部降格にともなって移籍を決断し、1994年夏に来日いて名古屋グランパスと契約した。当初は半年限定での在籍になるはずだったが、同年11月にアーセン・ヴェンゲル監督の就任が決まったことで予定を変更して契約延長。結局、2001年まで長きにわたってJリーグファンを魅了した。

 たった18分間で退場となったデビュー戦や、リフティングドリブルを披露したジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原千葉)戦など、1年目からインパクトは絶大。ヴェンゲル体制となった1995年には公式戦で17得点29アシストという異次元の成績を残し、Jリーグでは年間最優秀選手に。天皇杯制覇で名古屋には初タイトルももたらした。

 1996年9月にヴェンゲルが退任する際に、アーセナルへ熱心に誘ったがストイコビッチはなびかず。1998年夏には名古屋所属の選手としてユーゴスラビア代表に選ばれ、フランスワールドカップに出場。2000年1月には再び天皇杯を獲得し、2001年夏をもって名古屋でスパイクを脱いだ。Jリーグではイエローカード69枚、退場処分13回と気性の荒さも目立ったが、それ以上に抜群のテクニックから繰り出される華麗なプレーの数々で多くのファンを魅了した。

 現役引退後は名古屋とテクニカル・アドバイザー契約を結び、2008年には監督として帰還。2010年には名古屋をクラブ史上初めてのリーグ優勝に導いた。同年にはJリーグ年間最優秀監督賞を受賞し、史上初めて選手と監督の両方で年間最優秀賞を獲得した人物になった。趣味は盆栽、好きな食べ物は納豆という大の親日家としても知られる。

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