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“クロップ殺し”を遂げたシメオネの信念とは? 「攻撃は最大の防御」など戯言。真に優劣を決めるもの【データアナリストの眼力 後編】

最先端の戦術コンセプトを独自の分析で一枚の絵に表現してきた“異端のアナリスト”庄司悟氏の新連載が6/8発売の『フットボール批評issue28』でスタートする。最強リバプールをCLラウンド16で打ち破ったディエゴ・シメオネのアトレティコ・マドリーを解き明かした記事を、発売に先駆けて一部抜粋して前後編で公開する。今回は後編。(文:庄司悟)

text by 庄司悟 photo by Getty Images

「私にとってポゼッションは、ライバルを快適にするものなんだ」

ディエゴ・シメオネ
【写真:Getty Images】

 信念の塊ともいえるシメオネが実践した“クロップ殺し”の戦術コンセプトを解き明かす前に、まずはシメオネの志向を改めてトレースしておきたい。シメオネが残した数々の名言で筆者の脳裏に最も深く突き刺さっている言葉がある。

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 正確には、「私にとってポゼッションは、ライバルを快適にするものなんだ」(2015年発売の『欧州フットボール批評02』のインタビューから)。

 筆者にはこれが「ポゼッションは相手に快感を与えるだけ」と聞こえ、さらに端的でセンセーショナルな言い方に変換すれば、「ポゼッションなどクソ食らえ!」。しかし、シメオネを単なる“ポゼッション嫌い”で終わらせてしまうのはもったいない。実はシメオネの同コメント、そして志向はフットボールの真理を的確に突いている。

 1954年のスイスW杯で優勝した西ドイツ代表の監督で、ドイツフットボール発展の功労者でもある名将ゼップ・ヘルベルガーが当時、4つの金言を残している。1つ目は「試合時間は90分」、2つ目は「試合終了の笛は試合開始前の笛」、3つ目は「ボールは常にトップコンディション」、そして4つ目は「ボールは丸い」。では、4つ目の「ボール=球体」とは何を意味する至言なのか、おわかりだろうか。

 ボールから空気を抜くと二次元の円となり、コインに例えるのが手っ取り早い。三次元の円には表と裏の境目がなかったのに、二次元の円=コインになると、当たり前とはいえハッキリ表と裏に二分される。つまり、前述したシメオネのコメントは 「ボールは丸い」、すなわち表と裏、さらに言うと、フットボールに攻撃と守備の境目など実はないことを理解した上で、発せられたものと想像を働かせるべきだ。

 いわゆるポゼッションからゴールを目指す場合、ボールを自陣の低い位置から高い位置へ運ぶ作業が生じる。このようなチームに非ポゼッションを厭わないアトレティコが相対した場合、ポゼッションを開始する相手の低い位置は、アトレティコにとっては高い位置となる。

 確かに、「ボールは丸い」=「表も裏もない」ことが頭に入っていれば、高い位置から低い位置へボールを運ぶことも可能であることがわかる。となれば、ボールを持っている方が実に面倒な作業をしなければならず、しかも、それを相手は「快適」と感じているらしい。シメオネは「ボールを持っていない方が“試合を支配”しており、なおかつ快適」と、言いたかったのではあるまいか。

 シメオネがよりその信念に心を燃やすきっかけになったのは、15/16のレアル・マドリーとのCL決勝だったような気がしている。マドリーが1-0でリードしていた前半25~40分における両者のボール支配率はマドリーが38%で、アトレティコは62%であった。試合巧者のマドリーにまさに“ジダン駄”を踏まされた格好で、臍を噛むシメオネの姿が容易に想像がつく。

 攻撃と守備を分割することをとにかく嫌悪するシメオネに対し、いまだ日本人は「攻撃は最大の防御」というフレーズを信奉する傾向が強い。まして、ポゼッション=攻撃的、非ポゼッション=守備的と決めつけてしまっては、シメオネの志向を永遠に読み取ることはできない。ポゼッションを支配してこそゲームを優位に進められる、ボールさえ保持していれば相手に攻められることはない……次に示すシメオネのコンセプトを突きつけられれば、もはやこれらは幻想で、戯言にすぎないことがいよいよ明らかになるのだが……。

(文:庄司悟)

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『フットボール批評issue28』


定価:本体1500円+税

<書籍概要>
 とある劇作家はテレビのインタビューで「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではない」と言った。この発言が演劇とスポーツの分断を生み、SNS上でも演劇VSスポーツの醜い争いが始まった。が、この発言の意図を冷静に分析すれば、「スポーツはフレキシビリティが高い」と敬っているようにも聞こえる。

 例えばヴィッセル神戸はいち早くホームゲームでのチャントなど一切の応援を禁止し、Jリーグ開幕戦のノエビアスタジアム神戸では手拍子だけが鳴り響いた。歌声、鳴り物がなくても興行として成立していたことは言うまでもない。もちろん、これが無観客となれば手拍子すら起こらず、終始“サイレントフットボール”が展開されることになるのだが……。

 しかし、それでもスタジアムが我々の劇場であることには何ら変わりはない。河川敷の土のグラウンドで繰り広げられる名もなき試合も“誰かの劇場”として成立するのがスポーツ、フットボールの普遍性である。我々は無観客劇場に足を踏み入れる覚悟はできている。

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庄司悟(しょうじ・さとる)
1952年1月20日生まれ。1974年の西ドイツW杯を現地で観戦し、1975年に渡独。ケルン体育大学サッカー専門科を経て、ドイツのデータ配信会社『IMPIRE』(現在はSportec Solutionsに社名を変更し、ブンデスリーガ公式データ、VARを担当)と提携。ゴールラインテクノロジー、トラッキングシステム、GPSの技術をもとに分析活動を開始

【了】

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