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マンUファンによる「抗議活動」は認めざるを得ない。欧州SL参加表明で我慢の限界、声をあげる意味がある理由【英国人の視点】

text by ショーン・キャロル photo by Getty Images

プレミアリーグで現地2日、マンチェスター・ユナイテッドのファンが予定されていたリバプール戦を前にスタジアムに乱入するという騒動を起こし、試合の延期を余儀なくされる事態となった。以前よりファンが抱いていた米国人オーナーのグレイザー一家に対する不満が、今回の欧州スーパーリーグへの参加表明により爆発する格好となったが、ここで彼らが「声」をあげたことは大きな意味を持つかもしれない。(文:ショーン・キャロル)

今回の抗議活動は一服の清涼剤

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【写真:Getty Images】

 結局のところ認めるしかないだろう。5月2日のオールド・トラフォードのピッチ内は、退屈なドローに終わることが必至のマンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦が予定通りに開催されていた場合以上に熱狂的な空気に包まれたと言えるかもしれない。

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 地球上で最も有名なサッカー場のひとつであるスタジアムの周辺と内部で見られた光景は、ある意味では、直近11回の対戦のうち7回がドローに終わっているという宿敵同士が今回もまた冴えない戦いを演じた場合と比べれば、イングランドの国内サッカーの盛り上がりを宣伝する上ではより効果的だった。

 もちろん抗議者たちと警官隊との暴力的な衝突は許容すべきものではないが、それはマンチェスターで起こされた行動のごくわずかな一部分でしかない。ファンが一人の人間ではなく顧客として見られる傾向が強まり、権利が奪われていく一方の現代において、今回の一件は、イングランドのサッカー界が世界一の人気を誇るまでに成長することを後押しした文化と熱意を改めて思い出させてくれる一服の清涼剤でもあった。

 ユナイテッドファンによる抗議活動は、名目上は、クラブが(あっという間に頓挫した)欧州スーパーリーグの創設メンバー12クラブに名を連ねるという先月下旬の発表に対する反応として起こされたものだった。

 だが抗議への参加者の一人が『ガーディアン』紙に説明したように、問題の種はそのはるかに前から撒かれていた。プレミアリーグ設立以降に最も成功を収めたクラブであるユナイテッドが、現オーナー(その一人であるユナイテッド共同会長のジョエル・グレイザーはスーパーリーグ副会長にも任命されていた)の手に渡った瞬間からだ。

ファンはどんどん置き去りにされた

 ファンマガジン『United We Stand』のジェイミーは、米国の一家が16年前に実行したクラブ買収による経営権獲得について次のように書いている。

「全てはグレイザー一家に関係している。今に始まったことではない。我々は(クラブが買収された)2005年にも抗議を行ったし、2010年にも再び行った。『勝てなくなったからだ』と言われるのも分かるが、ポイントはそこではない。フットボールクラブとそれを取り巻くコミュニティーの問題だ」

「今後も抗議が起こるか? 答えはイエスだ。今回は連休中の日曜日で、世界が注目するユナイテッド対リバプール戦という試合だったので、これほどの規模になるのは今回限りかもしれない。だが今後もあることは確かだ」

 世界からの視線は実際に集まっていた。プレミアリーグ時代では初となったファンの行動による試合延期を引き起こした抗議者たちの動きは世界中に届けられた。オールド・トラフォードと、ユナイテッドの選手たちが試合に向けて前泊していたローリー・ホテルの周辺に集まったサポーターたちが好んで歌っていたチャントのひとつは、「いつプレーできるか、決めるのは俺たちだ」というものだった。スーパーリーグの崩壊劇が浮き彫りにした、もうひとつの長年の不満を表している。

 試合を訪れるファンの熱量と購買力は、当初はイングランドサッカーの地位を引き上げる力となったが、プレミアリーグという巨大な怪物が世界的ビジネスへと成長を遂げるにつれて彼らは徐々に置き去りとされていった。試合のキックオフ時刻も、現地観戦するファン以上に放送パートナーの都合に合わせて設定される例が増えていく一方だった。

 コロナウイルスもさらにその傷口を広げる一因となった。無人の観客席に広げられたシートに印刷された「ファンがなければサッカーはない」という空虚な標語が明らかに事実に反していることを証明するかのように、プレミアリーグはもはや1年以上もファン不在のまま構わず走り続けてきた。

「『#Glazersout』とツイートして、それが何になるというんだ?」

 スーパーリーグ発表のタイミングもおそらく偶然ではなかったのだろう。当事者たちが、スタジアムで反対の声を上げるファンがいない間に強引に事を進められると目論んでいた可能性はある。ただ、ファンが各クラブに対して抱いている感情と帰属意識の深さを大幅に過小評価してしまっていたということだ。

 オーナーも監督も選手たちも入れ替わるが、ファンはいつまでも居続ける。その繋がりは世代から世代へと引き継がれていく。ユナイテッド対リバプール戦を中止させた抗議の声は、トップレベルのサッカーをその本来の姿からさらに遠ざけようとする現在の商品化・商業化に反抗する叫びだった。

 同じ顔ぶれの金満クラブ同士が何度も対戦し、一切のリスクを負わずに巨万の富を生み出すというスーパーリーグは、その傾向をさらにもう一歩助長するものとなるはずだった。
「もちろん我々もマンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦は観たかったが、それ以上の大問題があった。勝ち点を減点されることになるのならそれでも構わない」とジェイミーは抗議活動についてさらに続けている。

「(オールド・トラフォードへの侵入は)違法行為として一線を越えてしまったという声も聞こえてくるが、受動的な抵抗でできることは限られている。『#Glazersout』とツイートして、それが何になるというんだ?」

 オールド・トラフォードにおける抗議活動は、サポーターとは単に盲目的に応援の音頭を取るだけの消費者ではなく、クラブの存在基盤の一部分を成すものであることを絶好のタイミングで思い出させてくれる機会となった。ファンには声があり、その声を使うことを恐れる必要はない。叫び声を張り上げれば届くものだ。

(文:ショーン・キャロル)

【了】

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