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Jリーグ 1年前

高校サッカー選手権“私的” ベストマッチ5選。激闘、名将対決…。記憶に刻まれた名勝負を厳選

text by 土屋雅史 photo by Getty Images

帝京対市立船橋 ラスト3分での“3ゴール”


【写真:Getty Images】

第70回大会(1991年度)準決勝
帝京 2-1 市立船橋

 ラスト3分での“3ゴール”にすべてが凝縮される、選手権史に残る大逆転劇だった。ファイナル進出を懸けた一戦の舞台は、冷たい雨の降りしきる国立競技場。小学校6年生だった私は、サッカークラブのチームメイトと新幹線に乗って、群馬から聖地を訪れていた。

 目的は『松波を見ること』。帝京高校の2年生ストライカー、松波正信がとにかくカッコ良く、どうしても生で見たかったので、半ば無理やり友達を誘って上京した。1月の雨に濡れた国立は極めて寒く、試合中にもかかわらずトイレに行っていたタイミングで、市立船橋高校の先制点が入ったことを大歓声で知る。

 席へ戻ってきてからも得点の気配は薄く、「ああ、唯一のゴールを見逃した……」と落胆していた終盤にドラマは待っていた。77分。阿部敏之のクロスから、時岡宏昌のゴールで帝京が追いつくと、その1分後には再び阿部のスルーパスに抜け出した松波がゴールネットを揺らすが、これはハンドという判定でノーゴールに。スタンドは騒然としたものの、のちに松波も「あれはハンドです。自分でもわかっていました。さすが高田静夫さんです」と振り返っている。実はこの試合を裁いていたのも、65回大会の伝説のPK戦と同じ高田静夫主審だったのだ。

 そして、78分には正真正銘の得点が生まれる。三度、阿部が凄まじいグラウンダーのパスをエリア内へ流し込み、1年生の沼口淳哉のシュートがゴールへ吸い込まれる。その瞬間の狂喜する黄色とピッチに崩れ落ちる青のコントラストは忘れられない。翌日に帝京と小倉隆史を擁する四日市中央工業高校が激突した決勝も大熱戦。松波は2ゴールを叩き出すのだが、私はあの“幻のゴール”を目撃できたことに大満足。今でも選手権のベストマッチには常にこの準決勝を挙げ続けている。


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