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セリエA 1か月前

「プレーメーカーは必要不可欠ではない」欧州を制したガスペリーニの“3バック哲学”。お手本とした2人の監督とは?【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

選手時代はあの偉大なレジェンドとチームメイトに



 ガスプ(ガスペリーニの愛称)は、1958年1月26日、トリノの中心から車で約20分の町、グルリアスコで生まれた。幼少期は、この時代の多くの子どもたちのように、草サッカーに熱中し、4時間はボールを蹴っていたという。当時のアイドルは、ユベントスのレジェンド、オマール・シボリで、セリエAで176ゴールを記録したストライカーとは異なるポジションのMFでプレーしていた。

 9歳の時には、ユーベ下部組織の入団テストを受ける。登録は10歳からにもかかわらず、特例で入団が認められた。彼があまりにも優れていたためだ。サッカーだけでなく、勉強もおろそかにせず、文武両道に励んでいたため、両親はジャン・ピエロに不満はなかった。とりわけ、父ジュゼッペは、ユベンティーノだったこともあり、息子を誇りに思っていた。プリマベーラ(ユース)では、のちに82年FIFAワールドカップで、得点王となるパオロ・ロッシもチームメイトだった。

 トップチーム昇格後の77/78シーズンには、コッパ・イタリアの一戦に出場し、ゴールを決めることもあったが、名将ジョバンニ・トラパットーニが指揮し、セリエAで6連覇を達成した黄金時代のチームに居場所は見つからず。自分を必要とするクラブを探し、シチリア島のパレルモへと渡った。「数か月いるつもりが、5年もいたよ」とガスペリーニは語る。当初の予想よりも長く、南部の都市でセリエBの5シーズンを過ごした。「何度も昇格に迫ったし、コッパ・イタリアでは決勝にも進んでユーベと対戦した」。加入1年目の78/79シーズンのことだった。延長戦の末の1-2の敗北をガスペリーニはベンチから見届けた。

 パレルモでの最後の2シーズンは、レギュラーとして戦い、セリエBのカベーゼ(カンパーニャ州)、セリエC1(当時の3部リーグ)のピストイエーゼ(トスカーナ州)を経て、85年夏にアブルッツォ州の港湾都市の同名のクラブ、セリエBのペスカーラへと渡り、ここでガスペリーニにとって、重要な人物に出会う。彼のサッカー哲学に大きな影響を与えた人物の一人だ。

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