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え? 早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人選手5人。様々な理由で帰国を決断した男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

DF:伊野波雅彦(いのは・まさひこ)

元日本代表DF/MF伊野波雅彦
【写真:Getty Images】

生年月日:1985年8月28日
移籍先:鹿島アントラーズ→ハイドゥク・スプリト(クロアチア)
移籍先でのリーグ戦戦績:15試合1得点0アシスト
在籍期間:2011年7月〜2012年2月

 伊野波雅彦は、阪南大学を休学(のちに退学)してFC東京でプロキャリアをスタート。2008年に鹿島アントラーズに移籍し、Jリーグでの実績を積んだのち、2011年夏にクロアチア1部のハイドゥク・スプリトに加入。ヨーロッパに舞台を移した。

 鹿島では複数のポジションをこなす守備職人として重宝されていたが、絶対的なレギュラーではなかった。それでも、クラブ史上初のアジア人選手となったハイドゥク・スプリトでは早々に信頼を得て、リーグ戦15試合中13試合に先発出場するなど、高い評価を受けていた。

 しかし、クラブからの給与未払いが続いたことにより、伊野波は2012年1月に退団を決断。翌2月にはヴィッセル神戸への加入が発表され、欧州挑戦はわずか半年あまりで終わりを迎えた。

 鹿島からの移籍時、伊野波はクラブ公式サイトで「代表で結果を残すには、もう一段階レベルアップが必要」とコメント。「クロアチアがゴールではなく、1つ、2つ、3つとステップアップしたい」と、さらなる飛躍を見据えていた。

 その後は国内の複数クラブでプレーを続け、2014年にはFIFAワールドカップ日本代表にも選出されるなど、国内で確かな実績を残した。それでも、「ステップアップの第一歩」を不本意な形で終えたことで、さらなる飛躍の機会を逸した感もある。

 神戸加入発表時には「給与未払いはありましたが、それがすべてではありません。総合的に判断しました」と語っており、欧州での時間には複雑な思いが残ったようだ。

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【了】

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