サッカー選手・25歳。海外挑戦と引退
それまで自分にとってサッカーは「夢」でした。
2002年の日韓W杯でブラジルのロナウドに衝撃を受け、それから海の向こうを目指し、どんな時でも「夢」を追いかけました。
その「夢」を叶えにドイツに渡りましたが、サッカーとは「夢」ではなく、どこまでも続く現実であり、仕事であり、「結果」こそが全てだと学んだのです。
コロナ禍で世の中が混乱していた、2022年1月15日から1月25日までの10日間、ドイツ4部のクラブのトライアウトを受けるためにドイツに渡りました。
2019シーズンから加入した当時J2のFC町田ゼルビアを、2021シーズン限りで契約満了になりましたが、2021年の夏頃から冬のタイミングでのドイツへの挑戦に向け準備を始めていました。
現在、ブンデスリーガとプレミアリーグという世界のトップリーグで堂々と活躍を続ける板倉滉、三好康児、三笘薫とともにプレーした川崎フロンターレU-12は当時から海外志向が強く、「世界で戦う」を合言葉に、小学生の頃から切磋琢磨していました。
本来であれば町田で結果を残し、認められた上でのヨーロッパ行きを描いていましたが、全くもって結果を出せませんでした。
ですが小学生の頃からの夢に挑戦するにはこの冬しかないと思い、チャレンジを決断しました。
当然トライアウトにはリスクもあり、入団が約束されているわけではないので、契約を勝ち取れなければ帰国するしかありません。加えて1月上旬にはJリーグの各クラブの編成も終わり、始動の時期になるので、日本に帰ってきてもサッカーをする居場所はない。
ドイツに行くことは、同時に「引退」を覚悟することでもありました。