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2015年の君たちは――。~東京ヴェルディユース、花の92年組を追って~:第11回 才能を引き受けて生きるということ

主将ながら出場機会を減らすも腐なかった渋谷

 遡ることおよそ1ヶ月前、渋谷はこう語っている。

「ヴェルディの試合はいつも見ています。中後(雅喜)さんや(平本)一樹さんのようなベテランが存在感を発揮し、ユースの後輩たちが堂々とプレーしている。すごいなぁと思う一方、練習に参加した感触では自分もやれる、あの舞台でプレーしたいという気持ちは高まっています。

 冨樫(剛一・東京ヴェルディ監督)さんは僕が戦力になると判断したなら呼んでくれるでしょう。チームづくりにおいて、ヘタに情を混ぜる人ではないので信頼しています」

 たまにヴェルディのホームゲームに訪れたときは、多くのサポーターから「ヴェルディに来てくれ」「帰ってこいよ」と話しかけられた。渋谷はその気持ちをありがたく受け取った。しかし、「また緑のシャツを着たいのは山々だけど、自分はチームを選べるレベルの選手ではない」。それが偽らざる本心だった。

 中央大の3年次は主力としてプレーしたが、キャプテンに就任した4年次は出場機会が著しく減少した。リーグ戦の後期開幕を控えた8月末、左ひざを痛めたのも大きく響いた。

 僕の眼には、監督の求めるプレースタイルとの不適合、サッカー観の隔たりが主因と映ったが、圧倒的な能力があれば指揮官は起用せざるを得ない。チームは残留争いの渦中にあり、何よりも結果を求めていた。渋谷が評価を覆すだけの力を示せなかったのは事実だ。

「プロを目指していて、しかもキャプテンをやらせてもらっているのに、試合に出られない。その状況は考えれば考えるほどきつかったです。みんなに対して申し訳なさを感じたし、将来への不安も湧き上がってきた。

 そこで、自分がチームのために何をするか。うまく説明しづらいんですが、目の前にやるかやらないかの二択があれば、僕は常にやるほうを選びます。自分にできる範囲で最善を尽くします。周りからどんな眼で見られようが、そんなことは関係なかった」

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