異端の天才 金田喜稔の「超常識」(後編)

『破天荒に生きた名手からの叱咤激励』
型破りなプレーヤーとして、破天荒な時代を駆け抜けた金田喜稔氏は、日本の現状をどのように捉えているのだろうか? 「異端の天才」と呼ばれた男の持論を聞いた。

2012年12月21日(Fri)19時06分配信

text by 海江田哲朗 photo Kenzaburo Matsuoka
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【前編はこちらから】 | 【サッカー批評issue56】掲載

26歳の若さで代表を引退した理由

──そういえば、金田さんは26歳の若さで代表引退を表明されたそうですが、なぜそんなに早く退くことに?

「ロサンゼルス五輪予選(1984年)で負けたから。自分は戦犯だと思った。周りに迷惑をかけた。ロスには必ず行けると思ったんよ。いいメンバーが揃っていたし、コリンチャンスとの壮行試合も手応えがあった。ところが、シンガポールでの最終予選は全敗。言い訳になるけど、暑さ対策ができていたら、あるいはホーム&アウェイでやれていたら……。ロスに行けないとなった瞬間、冷めてしまった。それで、日産だけでやらせてください、と」

──周りは反対したでしょう。

「日産の監督だった加茂(周/現関西学院大学サッカー部総監督)さんからは『なんで辞めるんだ?』と言われたな。代表監督のモリチン(森孝慈、2011年7月に死去)から加茂さんに何度も打診があって、『キンタ、早く戻ってこい』と言ってくれた。まったく、クソ生意気もいいところよ。もし俺が監督だったらそんな奴は許さんけど、モリチンは許してくれる。度量の大きさが違うのでね。モリチンは名蹴会(2010年9月に発足)の会長を頼んだときも身体が悪いのに『よっしゃ、やったろ』と引き受けてくれて。自分にとって名蹴会の活動は恩返しみたいなもの。きれいごとやけどな」

──昔の代表合宿の風景を伝え聞くと、麻雀やら花札やら破天荒ですね。

「ジーコが監督の頃、キャバクラ遊びで夜の11時に帰ってきたとちょっとした騒ぎになったよね。俺なんかは11時なんて早過ぎる、もっと深く遊びなさいと思ったものよ。ただし、環境が違うもんな。あの時代は写真を撮られることもインターネットもなかった。先輩ヅラしてとやかく言うのは良くない。気持ちの半分くらい遊んでほしいと思いつつ、こっちのやってきたことのほうが絶対に悪いし、サッカー選手にとって休養は大事。真剣に取り組むのは間違いなくいいこと。説教くさいことを言ってつまんねえなと思うけれど、こればかりは仕方がないわ」

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