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日本代表 11年前

「日本人らしいサッカー」とは何か?(その4・南アW杯ベスト16とその先)

text by 西部謙司 photo by Kazuhito Yamada

「日本化」とは

 イタリア型でもスペイン型でも勝てるなら構わないのかというと、おそらくそうではない。サッカー選手は基本的にボールのない(ボールを持たない)サッカーをやりたいとは思っていない。断言はできないが、それはほとんどの日本のサッカープレーヤーに共通する感情ではないだろうか。

 ボールテクニックを磨き、もっと上手くなりたいと願っているプレーヤーは日本全国にたくさんいる。日本人は器用なのだ。その器用さを捨てて、例えばニュージーランドのようなサッカーをしたいと考えている選手は日本ではかなりの少数派だろう。

「日本化」とは、日本人選手の特徴を生かせる方法を探り、それによって勝ちやすいチームを作ることが第一義にある。しかしそれだけでなく、日本人がどういうサッカーをやりたいのか、自らに問いかけることもまた「日本化」なのではないか。

 その点で、僕は「日本化」や「日本人らしさ」にとらわれるべきではないと考えている。

 例えば、いわゆる日本らしいものに、和風だからという理由だけで、当の日本人が感動したり有り難がったりはしない。日本が好きな外国人なら、古風な寺社に感動するかもしれないが、それは大半の日本人にとってはどこにでもある寺でしかなかったりする。

 日本人が取り立てて和風好みというわけではないのだ。龍安寺に感動する人が、エジプトのピラミッドに感動するのは全く不思議なことではない。サッカーについても同じで、日本人は「日本人らしいサッカー」しか感動できないなんてことはない。むしろ、どこにでも転がっているような「日本らしさ」を超えたものにしか感動はないと思う。

 日本人が本当にやりたいサッカー、本当に見たいサッカーは、現状の「日本らしさ」の中にはないのではないか。こぢんまりした日本サッカーではなく、こんなことが日本人にできるのかと驚くような、従来の日本人らしさを逸脱したところに感動が生まれるのではないか。

 もちろん日本人がコートジボワール人を真似ることはできないし、すぐにスペイン人にもなれはしない。日本人の限界はあるだろう。しかし、「日本らしさ」を超えること、超えていこうとした先に新たな「日本らしさ」が表れてくるはずだ。

 日本らしさという枠を考えるよりも、もっと強くなること、もっとやりたいサッカー、見てみたいサッカーを追求していくこと。単純だが、大事なのはそれだけだと思うのだ。

【了】

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