ブラジル時代のカズを追って ~サッカー王国での7年半を知る人々の回想録~(後編)

15歳でブラジルへ渡った三浦知良。様々な困難に直面しながら現地で約7年半プレーを続け、サッカー王国も認めるトップレベルの選手に成長した。カズの原点であるブラジル時代とはどのようなものだったのか? 当時を知る人々の話をもとに振り返る。

2013年06月17日(Mon)15時40分配信

text by 沢田啓明 photo Hiroaki Sawada
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「うまくて速かった。両足が同じように使えるからマーカーは大変だった」――トニーニョ・パラナ

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キンゼ・デ・ジャウーでカズのチームメイトだったトニーニョ・パラナ(現在はU-17チームの監督)

 トニーニョ・パラナは、80年代にキンゼ・デ・ジャウーで右サイドバックとして活躍した。88年3月19日のコリンチャンス戦にも先発フル出場している。

「カズは、ブラジル人好みのテクニシャン。うまくて速かった。それに、ウインガーには珍しく、両足が同じように使える。練習の賜物だろうね。コリンチャンスの右サイドバックのエジソンはすばらしい選手だったけど、あの日のマッチアップはカズの完勝だった。エジソンに限らず、カズをマークする選手はとても苦労していた」

 キンゼ・デ・ジャウーでの活躍が認められて、1988年9月、カズはパラナ州の強豪コリチーバに移籍する。

 コリチーバは、パラナ州の州都クリチーバに本拠を置く総合スポーツクラブ。パラナ州を代表する強豪で、ブラジル全国リーグ1部に参加していた。

 それまで着実に実績を積んできたカズは、コリチーバでもレギュラー。ホームに名門フラメンゴを迎えた試合でも先発出場し、フラメンゴの英雄ジーコから「スセッソ」(直訳すれば「成功」で、「頑張っているな」といった意味)と声をかけられた。

 また、この年のサッカー専門誌「プラカール」によるポジション別投票で、左ウイング部門の3位に選ばれた(当時、ブラジルのトップクラスの選手の多くは国内でプレーしていたから、国内3番目という評価はブラジル代表とほとんど遜色ないレベルにあることを意味した)。

 カズが出場したブラジル全国リーグの試合を取材した西山幸之カメラマンはこう語る。「国内最高の舞台で、並み居る強豪クラブと対戦し、しっかり活躍してみせた。以来、カズは国内トップクラスの選手と認められたんだ」

 1990年の初めには、パラナ州リーグに出場して優勝した。

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