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「自分たちのサッカー」とは何だったのか? ジーコ時代との相似点と日本代表を巡る8年周期の問題点

text by 宇都宮徹壱 photo by Getty Images

足かせになった優勝という高すぎる目標設定

 ザッケローニの場合も、コートジボワールとの初戦の入り方に完全に失敗して迷走した。攻め続けるスタイルを反故にして中途半端な守りに入ったり、放棄したはずのパワープレーを試合終盤になって試みたり、方向性のブレは顕著であった。

 その後のギリシャ戦、コロンビア戦では、良い時間帯もあるにはあったものの、結局は初戦の躓きを挽回するまでには至らず。また、本田や香川真司、長友佑都など、決してコンディションが良くなかった選手たちの起用にこだわり続けたこともまた、チームに挽回の機会を奪ってしまったと言えよう。

 しかし他方、指揮官の領分以外でチームに綻びが生じていたことも、留意すべきであろう。06年大会では、スタメン組とサブ組の間に再び溝が生じ、チームは最後までひとつになれなかった。

 今大会に関しても、「自分たちのサッカー」というテーゼは、結果として選手たちの重い足かせとなっているように感じられた。また、本田が中心となって掲げていた「優勝」という高すぎる目標が、かえってチームの意思統一の障害になっていた可能性も否定できない。

 今回の日本代表が、なぜ4年間追求してきたサッカーを披露できなかったのか。それについては、まだまだ検証する時間が必要だろう。だが、少なくとも「すべての責任は私にある」というザッケローニの退任会見は、鵜呑みにすべきではない。それ以外の原因も、きっとどこかにあったように、私には思えてならないのである。

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