G大阪ACL4強、“救世主”米倉の軌跡。攻撃的MFからSBへのコンバートが広げた未知数の可能性

2015年09月17日(Thu)15時54分配信

text by 藤江直人 photo Getty Images , Kazhito Yamada / Kaz Photography
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ジェフ千葉での活躍に熱視線を送ったG大阪

 不慣れなポジションながら、このシーズンでマークしたゴールは「6」を、アシストに至っては「13」を数えた。千葉の強豪・八千代高校からジェフに加入して7シーズン目にして、米倉は自らの体に脈打つ新たな可能性に気がついたという。

「やってみたら、これが楽しいんですよ。自分の攻撃力が意外と生きるし、守備の持ち味でもあった1対1の強さというものも出せる。試合を重ねていったなかで、サイドバックとしてもっと、もっと上を目指したいという気持ちになったんです」

 そして、サイドバックとして覚醒していく米倉を、同じJ2の舞台で目の当たりにしていたのがガンバだった。

 当時のガンバはトラウマと懸案事項を抱えていた。まさかのJ2降格を喫した2012年シーズン。不動の右サイドバック加地亮(現ファジアーノ岡山)が故障を繰り返し、わずか16試合の出場に終わったことで、攻守両面で右サイドが機能不全に陥っていた。

 加地の後継者となる人材を、急いで探さなければならない。さらに、加地自身は現役生活を海外リーグへの挑戦で終えたい希望を抱いていた。

「オファーがきたときには甘えさせてほしい」

 実際に契約更改の席でフロントにこう要望して、梶居勝志強化本部長も長くチームに貢献してきたベテランの意思を尊重する方針を固めていた。

 そうした状況下で、ジェフで米倉が右サイドバックにコンバートされた。0対3の完敗を喫した7月7日の直接対決では、前半12分に鮮やかな先制ゴールも決められている。

 梶居強化本部長は、2014年シーズンへ向けた補強リストの筆頭に米倉の名前を書き記すことを決めた。

「実は以前から、米倉のことは注目していました。2013年シーズンの途中から右サイドバックにコンバートされたことで、鍛えれば十分にいけるという考えのもとで、常にプレーをチェックしてきたんです」

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