G大阪ACL4強、“救世主”米倉の軌跡。攻撃的MFからSBへのコンバートが広げた未知数の可能性

2015年09月17日(Thu)15時54分配信

text by 藤江直人 photo Getty Images , Kazhito Yamada / Kaz Photography
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ポジション争い、長期離脱もポジティブにとらえる

 2013年シーズンを終えた時点で、米倉はJ1を27試合しか経験していない。ルーキーイヤーだった2007年シーズンの途中からは、セカンドチームであるジェフリザーブスの一員としてJFLを戦っている。日本代表においても、U‐20代表候補に名前を連ねただけだった。

 それでも、複数のオファーのなかからガンバを新天地に選んだ米倉は、未来を確信しているかのように、こんな抱負を残している。

「日本代表のことは常に意識しているし、日本代表にいけるチームにきたと思っている」

 迎えた2014年シーズン。J1に復帰したガンバでの序盤戦は加地のリザーブに甘んじ、3月下旬には右ひざのじん帯を痛めて約2ヶ月間の戦線離脱も強いられた。

 いきなり直面した試練を、しかし、米倉はポジティブにとらえていた。

「いろいろなサイドバックの選手がいるので、それぞれのよさをちょっとずつでも盗めるように意識していました」

 ガンバで雌伏すること約半年間。フロントとの約束通りに、加地がMLSのチーヴァス・USAに移籍した右サイドバックの穴を埋めて余りある活躍を演じたのは米倉だった。

 ワールドカップ・ブラジル大会による中断明けからレギュラーの座をつかむと、思い切りのいい攻撃参加と、ジェフ時代から「フィジ倉」とあだ名された身体能力の高さを存分に発揮。攻守両面で右サイドを活性化させて、史上2チーム目となるガンバの三冠獲得に貢献した。

 右肩上がりの成長曲線を描いた米倉のパフォーマンスに、梶居強化本部長は「これくらいはやってくれると考えていました」と目を細めている。

「もう一人、2013年シーズンに補強していたオ・ジェソクが左右のサイドバックを十分にこなせるメドが立ったことで、藤春廣輝を含めて、いい意味での競争が生まれました。誰がピッチに立っても同じレベルで戦えるようになりましたし、そういうチームを目指してきたなかで、いい流れが生まれましたよね」

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