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アーティスト・日比野克彦が語るサッカーとアートの力。日本代表は「アジア代表」としての誇りを忘れてはいけない

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya , editorial staff

2010年からJFAの理事を務めて感じていること

日比野克彦と宇都宮徹壱
2014ワールドカップブラジル大会の日本対コートジボワール戦のマッチフラッグを背景に宇都宮氏とともに記念撮影【写真:編集部】

──ところで日比野さんは、2010年からJFAの理事を務めていらっしゃいます。理事会でさまざまな議論に参加されていると思いますが、サッカー界以外のジャンルからJFAを見て、「もっとこうしたほうがいいな」と思うことって、いろいろあるのではないでしょうか?

日比野 うーん、そうねえ。たとえばJリーグってみんな知っているじゃん。でも、JFAってどれだけ知られているかっていうと、ちょっと微妙だよね。日本代表のことは知っていても、高校サッカーから大学サッカーからフットサルも含めて、選手登録から大会の開催からいろんなことを担っているということは、あまり知られていないと思うんだよ。ヤタガラスのエンブレムにしても、あれはJFAのシンボルマークなのに「日本代表のマーク」だと思っている人って多いんじゃないかな。

──メディアの露出ということで考えれば、仕方がない部分もあると思いますが。

日比野 まあ、代表関連のスポンサー収入が大きいというのもわかるけれど、JFAっていうのはスポーツ文化を支えている団体なんだっていうイメージを、もっと醸成していく必要もあるんじゃなかと。僕はサッカーがメインではないところから来ている人間だから、そういうことを主張していくのが役割なのかなと思っている。

――われわれは理事会の決定事項をペーパーで知ることはできますが、その間にどういう議論があるのかなかなか見えてこないんですよ。実際のところ、美術界から来ている日比野さんが、理事会で浮いてしまっているんじゃないかと後輩のひとりとして密かに心配しております(笑)

日比野 皆さん、日比野という人間についてもマッチフラッグのことも理解はしてくれているね。それからJFAとして、もっと文化的なプログラムをやっていきましょうという提案についても、完全に否定されることはないけれど、順序としては決して高くはないよね。まあ、近々会長も変わるし、理事の人数も減っていくので、4月以降も理事を続けられるかどうかはわからないけど、もし理事から外れたとしても、いずれJFAが文化面での支援ができるように、僕は僕のやれることをやっていきたいと思っています。

――最後に今年のサッカーとの関わりについて教えていただけますでしょうか。

日比野 今年は五輪イヤーで男女ともに予選があるけれど、4年に一度のビッグイベントだけ盛り上がるのではなく、他にもいろんな大会があるわけじゃないですか。それらがもっと、ひとつの大きなうねりにできるような仕組みづくりというものを目指していきたい。ただそれは「今年」というよりも将来的な目標だね。その中で、アジア代表の活動をさらに広げていくのが今年の目標かな。(取材は2016年1月13日)

【了】

プロフィール
日比野克彦(ひびの・かつひこ)
1958年岐阜生まれ。東京藝術大学大学院修了。1982年日本グラフィック展において「PRESENT SOCCER」を出展し、グランプリ受賞。1993年-1994年 NHK・BS1「Jリーグダイジェスト」司会。
2002年「2002 FIFA WORLD CUP TM ホストシティポスター」国内開催都市全10種類を制作。近年では、地域の人々と制作を行い、受取手の力に焦点を当てたアートプロジェクト展開し、2005年より「HIBINO CUP」、2006年よりW杯開催年に合わせ「アジア代表日本」を開始。2010年より「MATCH FLAG PROJECT」を開始。2014年うらわ美術館「サッカー展、イメージのゆくえ。」出展、西武渋谷「サッカーボールアート展」プロデュース。現在、東京藝術大学先端芸術表現科教授、岐阜県美術館 館長、日本サッカー協会理事、東京芸術文化評議会評議員を務める。

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