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日本代表 8年前

ジーコJ、「序列主義」がもたらした弊害。「海外組」と「国内組」の分化。実力主義の破綻【西部の4-4-2戦術アナライズ】

シリーズ:西部の4-4-2戦術アナライズ text by 西部謙司 photo by Getty Images

象徴的だった「ラインの位置問題」

ジーコ監督時代に日本代表のボランチを務めていた福西崇史
ジーコ監督時代に日本代表のボランチを務めていた福西崇史【写真:Getty Images】

 海外組と国内組、2つのチームを並行して強化していた弊害の象徴としてあげられるのが「ラインの位置問題」だろう。

 もともとジーコ監督の戦術では高いディフェンスライン設定はしにくい。「1人余れ」が原則だからだ。しかし、FWとMFを占めた海外組は前方からの守備と高いラインを主張し、DFを形成する国内組と見解の相違が生まれていた。もちろんラインの高低はその場の状況によって決めるものだが、基準をどこに置くかというところで意見が違っていたわけだ。

 これもその都度話し合いによって解決されていったのだが、そもそもチームとして一定の方針がないこと自体異常といっていい。最終的に監督から基準が示されたのは、何とワールドカップが始まって2試合目のクロアチア戦から。つまり最後の2試合である。

 トルシエ前監督のフラット・スリーは圧力調整の蓋のようなものでDFの数はさほど問題ではないが、ジーコ監督の「1人余れ」は明確に人数が問題になる。3バックか4バックかが議論されていたのはそのためだ。

 ただ、ジーコ監督はそこにも意外に無頓着で、相手のFWに合わせてDFの数を決めていたわけではない。1トップに対して3バック、2トップに4バックという具合である。同種の守備戦術であるブラジル代表も3か4かで揺れた時期があったが、94年ワールドカップで「可変式」という独自の結論に至っている。

 いわゆる第一ボランチがMFとDFの間を移動し、同時にSBの位置を上下させて、3バックと4バックを自在に変えられるようにしていた。福西崇史といううってつけの人材を持ちながら可変式を採らなかったのは不思議なぐらいである。守備戦術については、最後まで曖昧さを残していた。

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