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Jリーグ 8年前

プロ入り直前で血栓症の診断受けた山本脩斗。「うまくフィットできた」。鹿島への適応と飛躍【The Turning Point】

サッカー選手の旬の時期は人ぞれぞれ。若くして豊かな才能を満開にする花があれば、辛抱強く力を蓄え、やがて咲かせる大輪の花もある。後者は、いかにしてプロの厳しい生存競争をくぐり抜け、脚光を浴びるに至ったのか。のちの躍進につながるターニングポイントに興味があった。第1回は鹿島アントラーズの山本脩斗選手にご登場願った。盛岡商業、早稲田大、ジュビロ磐田と経て、2014年の鹿島移籍を期に大きく飛躍。不動の左サイドバックとして、常勝軍団の一翼を担っている。【後編】(取材・文:海江田哲朗)

シリーズ:The Turning Point text by 海江田哲朗 photo by Getty Images

【前編はこちら】

指導者に恵まれ成長できた

鹿島アントラーズでプレーする山本脩斗
鹿島アントラーズでプレーする山本脩斗【写真:Getty Images】

――山本選手にインタビューさせてもらえることになり、下調べと簡単に周辺取材をやってきたんですよ。たとえば、東京ヴェルディの冨樫剛一監督はスカウトを担当していた頃、盛商の山本選手を興味深く見ていたそうです。評価が高かったのは、基礎技術の高さと、人間性、まじめな気質でした。病気を経験してご自身を見つめ直す部分があったにせよ、もともとメンタル面はしっかりしていたのでは?

「性格的にその傾向はあるかもしれませんが、高校時代は理不尽な走りのトレーニングなどがあるじゃないですか。それを経験して精神的に強くなった部分はあるでしょうね。僕だけではなく、ほとんどの選手がそうだと思いますけど」

――情熱の人、斎藤重信監督(現総監督)の教えを受けて。

「斎藤先生ほど選手のために尽力される方はいないのでは。たしかにトレーニングは厳しかったです。その分、気持ちが伝わってくるものがありました。大船渡高時代の(小笠原)満男さんは斎藤先生の下宿所で生活し、選手に毎日の食事を用意し、お弁当まで持たせてもらっていたそうです。それも満男さんひとりではなく、4人だったかな。そんなの情熱がないとできませんよ」

――指導者とのめぐり合わせについてはどう感じますか?

「その点、僕はとても恵まれたと思います。小5のときに入った、上田サッカースポーツ少年団は楽しんでプレーすることができ、サッカーをより好きになれた。以降、現在に至るまで指導者の方々がさまざまな要素を分け与えてくれたおかげで、成長できたと感じます」

――タイミングや運にも左右され、自分ではコントロールし切れない部分。

「はい。おそらく自分に合っていたんでしょうね。人によっては、違うタイプの指導者のほうがいい場合もあるかもしれない。そこは選手によると思います」

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