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Jリーグ 7年前

横浜F、“伝説”の天皇杯優勝の内幕。若手FWが口にした一言から生まれたドラマ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

最後まで決まらなかった移籍先

 天皇杯は(3回戦の)大塚製薬戦はベンチ入りして、ラスト1分で永井(秀樹)さんとの交代で出場しました。次の鳥取での甲府戦はベンチから外れたんですけど、準々決勝(対磐田戦)からは「もう最後だから」ということで、選手全員がチームに帯同することになりました。

 ベンチ入りの選手は前泊して、試合に出ない選手は新幹線で当日入りしたのは覚えています。移動費については、おそらく浩二さんが会社側と交渉して、捻出してくれたんだと思います。

 準々決勝から決勝までは、スタンドではなくピッチサイドで見ていました。選手用のパスを首からぶら下げて、水を持って行ったりとか、ユニフォームの着替えを渡したりとか。僕だけでなく、試合に出られないみんながやっていましたね。

 ジュビロに勝ってからは「最後(決勝)まで行くぞ!」という雰囲気になりました。スタメンもベンチも、ベンチ入りできない選手も、一致団結していました。準決勝でアントラーズに勝ってからは、みんなでご飯を食べに行って「こうなったら優勝するしかねえな」みたいな話をして。あんなにチームに一体感があったのは、僕が知る限り初めてでしたね。

 決勝で印象に残っていることですか? 小学校からずっと先輩だった久保山さんが同点ゴールを決めた瞬間ですね。そんな派手な選手ではないし、膝の調子が悪くて苦しんだ時期も知っていたので。優勝が決まった時は、とにかく嬉しかったです。フリューゲルスの一員で良かったと、心から思いました。

 僕はベンチ入りしていなかったので、授賞式にはいなかったんですけど、最後はみんなで記念写真を撮ったのかな。試合後、全日空ホテルで祝勝会がありましたが、お別れ会でしたよね。涙を流している選手もいました。その後、二次会に流れた人たちもいましたけど、僕は次が決まっていないのですぐに帰りました。

 実は僕だけが、最後まで移籍先が決まらなかったんですよね。天皇杯で優勝するまでは、一切自分のことは考えていなかったし。性格ですかね(苦笑)。あと、若くて生意気だったので、フロントの人たちから良く思われていなかったというのもあったかも。

 結局、コンサドーレ(札幌)が決まったのは、年を越してからでしたね。トレーニングを兼ねて、アツさんや永井さんと1月にハワイに行ったんですよ。で、当時の携帯電話ってグローバルじゃなかったから、ホテルから自宅の留守電を聞いたんですね。そうしたらコンサドーレの強化部長から「すぐ来てくれ」とメッセージが入っていて(笑)。慌てて日本に戻りました。

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