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Jリーグ 7年前

横浜F、“伝説”の天皇杯優勝の内幕。若手FWが口にした一言から生まれたドラマ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

現役最後の公式戦は社会人サッカーで

 コンサドーレは、ちょうどできたばかりのJ2所属で、岡田(武史)さんが監督に就任して1年目でした。開幕戦には出場できて、いい感じでは入れたんですけど、その後はベンチスタートが続きましたね。

 ちょうど吉原宏太が売り出し中で、それでもチャンスはあるだろうと思っていましたけど、負けてればスピードのある選手が、勝っていれば守りを固める選手が使わるので、出番はなかったです。

 J1昇格が決まった次のシーズン(00年)もいましたけど、結局、リーグ戦は(2シーズンで)8試合に出ただけでした。そのオフはゼロ円提示ですよ。フロントからは「数チームからオファーがある」と言われましたけど、若かったこともあって断ってしまいました。もうサッカーを辞めるくらいの気持ちでしたし。

(01年に加入した)夕張ベアフットは、北海道リーグ所属のクラブで、コンサドーレにいた選手が監督兼任でプレーしていたんです。「手伝ってくれ」みたいな感じで言われて、1年間だけですが地域リーグでプレーしました。

 全社(全国社会人サッカー選手権)にも、地域決勝(全国地域リーグ決勝大会)にも出ましたよ。確か高知の春野が会場だったかな。2戦目で僕、初めてレッドカードをもらったんです。

 社会人のサッカーって、荒いじゃないですか。僕がボールキープしていたら、後ろから削られて、それで蹴っ飛ばしたら一発退場です。結局、それが最後の公式戦になりましたね。サッカーに未練がないわけではないけど、24歳で現役をあがることにしました。

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