横浜F、“伝説”の天皇杯優勝の内幕。若手FWが口にした一言から生まれたドラマ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。【後編】(取材・文:宇都宮徹壱)

2017年02月15日(Wed)10時29分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images
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【前編はこちら】

「強いフリューゲルスを見せたい」

横浜フリューゲルスが消滅した当時、同クラブに在籍していた桜井孝司氏
横浜フリューゲルスが消滅した当時、同クラブに在籍していた桜井孝司氏【写真:宇都宮徹壱】

(クラブ存続の)署名活動は、もちろんやりました。みんなで手分けして、練習後に横浜駅なんかで夜遅くまで署名をもらっていました。ファンをはじめ、いろんな人たちから声をかけられましたけど、ひとつひとつの言葉は覚えていないですね。気持ちの余裕がなかったですから。

 フリューゲルスが残ってほしいと思う一方で、「自分の来季はどうなるんだろう」という不安もありましたし。残念ながら、ファンのことまで考えられるような選手は、あの時はそんなに多くはなかったと思います。

 僕自身は(存続に)かすかな希望は持っていました。社長も「撤回になるように努力する」とは言っていましたし。ほんの少しでしたけど、期待はしていました。

 期待が完全になくなった時ですか? うーん、いつだろう。合併の調印式(12月2日)よりは前でしたね。(Jリーグの)シーズンが終わって、天皇杯が始まる前だったと思います。

 僕の周りで「移籍先が決まった」みたいな話がちらほら聞こえてきて、それで「ああ、やっぱりなくなるんだな」と。僕自身ですか? そういう話は一切なかったですね。

 それもあって、天皇杯(3回戦)が始まる前のミーティングで「サク(桜井)を出してやろうよ」という話になったんだと思います。言ったのはアツさんだったかな。要するに天皇杯を、まだ行き先が決まっていない選手のアピールの場にしよう、という話ですよね。ゲルトも「選手たちの意思を尊重する」というスタンスだったと思います。その時でしたね、あの言葉が出たのは。

「強いフリューゲルスを見せたい」──細かいニュアンスは覚えていませんが、意味としてはそういうことです。現時点でオファーがないのは、単に僕の実力がないというだけの話。

 でも、やっぱり僕もプロなので、フリューゲルスで優勝したいという思いがありました。もし、あの時の言葉がなかったら……たぶんゲルトは僕をはじめ、移籍先が決まっていない若手中心でメンバーを組んでいたでしょうね。そうなっていたら、(天皇杯は)間違いなく違った結果になっていたと思います。

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