横浜F、“最後”の天皇杯制覇の舞台裏。「伝説」につながる一言を発した若手FW【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。(取材・文:宇都宮徹壱)

2017年02月14日(Tue)10時39分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images
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「歴史を変える」役割を果たした男

「今ですか? 地元で子供たちにサッカーを教えつつ、オーダースーツのお店をやっています。もともと興味があったもので。幸か不幸か結婚もしていないので(笑)、自分がやりたいことをやっている感じですけど。あと、北関東のほうで『Jを目指したい』という県1部のチームから監督の依頼を受けていて、どうしようかなと……」

 目の前に座っていたのは、元Jリーガーである。名前は桜井孝司。1977年5月3日生まれで、今年で40になる。現役を退いたのは2001年。現在は故郷の静岡で、サッカースクールを運営しながらスーツの仕立てをしているという。

 多くのサッカーファンにとり、桜井の名前はあまり記憶にないと思われる。トップリーグでの出場数はわずか1試合、J2は8試合。途中、アルゼンチンのクラブに1年間貸し出されていたとはいえ、5年間のプロ生活を考えると、いささか寂しい数字であり、ファンの記憶に残りにくいのも致し方ないだろう。

 しかし彼はピッチ外のところで、ある意味「歴史を変える」重要な役割を果たしている。時に1998年12月のある日(おそらく12日)。この時、桜井は横浜フリューゲルス所属の3年目であった。

 横浜フリューゲルス──。横浜マリノス(当時)との吸収合併によって消滅してから、間もなく20年になろうとしている。当時をリアルタイムで知らない20代のサッカーファンでも、その名はよくご存じのはず。

 確かに、親会社の都合によって2つのクラブがなし崩しに合併されるという事態は、今考えても非常にショッキングな出来事である。しかし、フリューゲルスが「伝説」となるには、もうひとつ重要な要素があった。それは「天皇杯優勝」である。

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