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Jリーグ 7年前

横浜F、“伝説”の天皇杯優勝の内幕。若手FWが口にした一言から生まれたドラマ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

歴史化していくJリーグ黎明期の出来事

横浜フリューゲルスの消滅当時、Jリーグ専務理事だった木之本興三氏
横浜フリューゲルスの消滅当時、Jリーグ専務理事だった木之本興三氏【写真:Getty Images】

 さて、そろそろ今回のインタビューの種明かしをすることにしたい。当企画は、間もなく20年を迎える「Fの悲劇」を巡る証言集を目指している。

 このテーマに関しては、当時の中心選手だった山口素弘による書籍『横浜フリューゲルス消滅の軌跡』(日本文芸社/99年)があるし、当時Jリーグチェアマンだった川淵三郎や同専務理事だった木之本興三(故人)も、折に触れて当時を振り返っている。

 もちろん、そうした証言が重要であることについて異論はない。しかし他方で「Fの悲劇」の語り部が、これまで極めて限定的だったということについては、いち読み手として不満に感じるところでもあった。

 あれから間もなく20年。選手であれ、フロントであれ、そしてサポーターやJリーグ側の人間であれ、当事者たちのほとんどは当時と異なるステージで活躍している(天皇杯決勝に出場したメンバーで、今も現役を続けているのはGKの楢崎だけだ)。

 20年という時を経たことで、今なら語れることもあるかもしれない。また、これまで表に出てこなかった証言を発掘することで、「Fの悲劇」に新たな光が当たることになるかもしれない。

 フリューゲルスが「伝説」を成就させた表彰式、優勝メダルを授与していた専務理事の木之本は、ある選手から「チームを潰しやがって、覚えてろよ」と囁かれたという。その木之本が、辛く長い闘病生活の末に先般亡くなったことで、Jリーグ黎明期がいよいよもって「歴史化」していくことを強く実感するようになった。

 当時と今とでは、Jリーグを取り巻く状況も、そして日本社会そのものも大きく変質している。しかしどんなに時代が変わっても、われわれサッカーファンは「Fの悲劇」を決して忘れるべきではない──。そんな思いを強く懐きながら、時代の証言者を訪ね歩く旅をスタートさせたい。

<次回につづく/文中敬称略>

(取材・文:宇都宮徹壱)

【了】

フットボールチャンネルでは横浜フリューゲルス消滅当時のことを知る方々からの証言を求めています。弊サイト「お問い合わせ」より編集部にご連絡いただけますと幸いです。

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