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Jリーグ 7年前

横浜F消滅、サポーターが直面した現実。受け皿としての横浜FC、破綻した再建の方針【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

「負けたら解散」という状況で挑んだ天皇杯

川村環さんは観戦した試合のチケットを保管している。写真はフリューゲルス最後の試合である1999年元日に開催された天皇杯決勝のもの
川村環さんは観戦した試合のチケットを保管している。写真はフリューゲルス最後の試合である1999年元日に開催された天皇杯決勝のもの【写真:宇都宮徹壱】

 もちろん実力的なことを言ったら、負けてもおかしくなかったって今なら思います。それでも、不可能はないって当時は思っていました。選手たちの戦う姿を見ていると、本当に覚悟を決めて戦っているのが伝わってきましたし、「負けたら解散」という緊張感もありましたからね。

 とにかく、ものすごい一体感がありました。あの年の戦力って、そんなに充実していたわけではなかった。それでも、ああいう切羽詰まった状況だったから勝ち上がれたというのは、きっとあったと思うんですよ。

 だからこそ、サポーターは最後まで信じて応援するしかない。「決勝のチケット、買うべきかなあ」とか言っているやつには「バカ、買っとけ! 今すぐ買え!」って言いましたね。私たちが信じなくて、誰が信じてやるんだって話ですよ。

(準決勝で鹿島に勝って)決勝進出が決まったときですか? とにかく一世一代の晴れ舞台にしてやりたい。それしか頭になかったです。初めてのコレオの準備をしたり、鹿児島JETS(JETSの鹿児島支部)が作成したビッグフラッグを国立に持ってきてもらったり。それとは別に、試合が終わったら選手たちにメッセージを贈りたいって思ったんです。で、こんなメッセージを考えたんですよ。

「この想いは決して終わりじゃない。なぜなら終わらせないと僕らが決めたから。いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで。そして最後に……。君のそばで会おう」

 実はこれ、当時大好きだった銀色夏生さんという作詞家の『君のそばで会おう』という詩集からのパクリなんですけど。決勝が終わったら、勝っても負けてもフリューゲルスはなくなって、みんな散り散りになってしまう。

 それでも、またどこかで一緒にやりたいねっていう想いを文章にしたくて。そしたら「こんなの文字が多すぎて読めないよ」って言う人がいたんですね。「じゃあ、大きく書けばいいじゃん!」と思って。

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