横浜F消滅、サポーターが直面した現実。受け皿としての横浜FC、破綻した再建の方針【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

2017年03月15日(水)10時29分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya
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横浜FCは私が思っていた方向にはいかなかった

 実は私、98年の11月くらいから横浜FCの運営会社となる横浜フリエスポーツクラブの立ち上げに関わっていたんです。そっちのほうでも忙しかったんですよ。

 ただ、私が作りたかったのは新しいクラブではなくて、「新しいフリューゲルス」。名称とか、チームカラーとか、歴史とかを引き継いだクラブとして再建させたかったんです。

 ただし「フリューゲルス」という名前の商標を含めて、マリノスに「合併」されて使えなかったんですね。だから会社名には「フリエ」を使って、チーム名は無難な「横浜FC」にしたんです。もっとも、私は勝手に「FCのFは『フリューゲルス』のFなんだ」って思っていましたけど。

「横浜FC=横浜フリューゲルス」という気持で、最初のうちは私も横浜FCを応援していたんです。でも、だんだん「これは違うな」と思うようになっていましたね。

 ここにはもう、自分の居場所はない──。そう悟って、スタジアムから足が遠のいてしまったのが2002年。その頃には、すでに横浜FC時代しか知らないサポーターがどんどん増えていったし、フリューゲルス再建派と新しくできた横浜FCというチームが好きな人の間で、気持ちのズレが生じるようになって。

 いつしか「フリューゲルスを再建したい」という当初の目的も、完全に破綻していました。そしてASA AZULも、解散式をやらないまま自然消滅しましたね。

 私にとってのフリューゲルスですか?「そこにあるのが当たり前」という、空気のような存在。だから、チームがなくなってしまうなんて、自分が何をしていいのかわからないだろうと不安だった。

 素人ながらに試合の分析をするとか、年間シートを購入するとか、遠征の準備をするとか、新しい選手のチャントを考えるとか、そういうのが全部なくなってしまって。

 フリューゲルスに対する思いは人それぞれだと思うけど、今風に言うなら「フリューゲルス・ロス」に耐えられないファンが、フリューゲルスの受け皿となるようにと横浜FCを作った。

 でも、結果的には違う方向にいってしまって、またもや居場所を失いました。だから私、2回死んだような気持ちになりましたよ。

 ただ、海のものとも山のものともわからない横浜FCに入団してくれた選手たちには感謝していますし、横浜FC初期の頃に一緒に応援してくださったファンの方々には感謝しています。あの頃は、とても楽しかったです。

(文中敬称略)

(取材・文:宇都宮徹壱)

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【了】

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