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Jリーグ 7年前

横浜F消滅、サポーターが直面した現実。受け皿としての横浜FC、破綻した再建の方針【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

合併発表から解散まで涙を流す暇がなかった

 決勝前日の大晦日は、今でも忘れられない思い出ですね。(対戦相手の)エスパルスのサポの子たちも徹夜していて、みんなで鍋を囲みながら酒を飲んでカウントダウンやって。

 年を越してから、なんとなく車で寝る人やいったん家に帰る人が増えて、人気が少なくなってきてから数人のメンバーとまず模造紙100枚をガムテで張り合わせる作業をしました。

 それから、張り合わせた巨大な紙に下書きもなく、大きな刷毛で文字を書くんだけど、靴を履いていると紙が汚れてしまうから、冷たく凍るようなアスファルトの上で靴を脱いで書き続けました。

 ようやく明け方に書き終わったんだけど、冬だからなかなか墨汁が乾かない。朝になって仲間が集まってきて、乾ききってないところをティッシュで拭き取って、それから強引に畳んでみんなでわっせわっせとスタンドに運び込みましたね。

 決勝の本番は、とにかく忙しかったです。コレオやビッグフラッグのオペレーションがあったし、TV局が私の密着取材をしていたし、全国からサポ仲間が挨拶に来てくれたし、プチ有名人だったので「一緒に写真撮らせてください」ってあちこちで声をかけられたし、本当にてんてこ舞いだった。

 だから優勝した時も、余韻に浸っている暇はなかったかな。優勝した嬉しさとこれで終わりという悲しさが混じって、どっちの感情にもピントがあわなかったし、ピッチに飛び込んだバカもいたし(苦笑)。

 ただ、あの模造紙に書いたメッセージは、無事にゴール裏で広げることができて嬉しかったです。翌日は休刊日でしたけど、1月3日の新聞に写真付きで載りましたしね。

 結局(マリノスとの合併が報じられた)10月29日から、次の年の1月1日まで、涙を流すことはなかったです。というか、泣いている暇がなかった。最初は(合併が撤回される)奇跡が起こるかもと思って署名活動に一生懸命だったし、天皇杯が始まったら決勝まで勝ってもらうことしか考えていなかったし。でも「なんか違うな」って感じたのが、表彰式が終わって夕方に新横浜駅前で行われた優勝報告会でした。

 選手がひとりずつ「応援、ありがとうございました。僕は(来季から)●●へ行きます!」って挨拶するんだけど、みんな表情が妙に明るいんですよ。一応、優勝報告会ですからね。勝った喜びもあったのでしょうが、何だかサポーターだけが置き去りにされているように私は感じられて。

 で、報告会が終わって選手がフワッといなくなった時、初めて寂しい気持ちになりましたね。ああ、この選手たちが全員揃うことは、もう二度とないんだ。そう思うと、急に寂しくなってしまって……。

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