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セリエA 7年前

ユーベ指揮官、戦術以上に際立つ人心掌握術。2度目のCL決勝。苦汁なめたミラン時代糧に

text by 神尾光臣 photo by Getty Images

ミランでのセリエA制覇。そしてその後の苦難

ミラン時代にはイブラヒモビッチら攻撃陣を操りセリエA優勝を経験した
ミラン時代にはイブラヒモビッチら攻撃陣を操りセリエA優勝を経験した【写真:Getty Images】

 まずは2007-08シーズン、指導者キャリアを始めてから5年目で就任した当時第3部のサッスオーロ。攻撃的なサッカーでクラブ史上初のセリエB昇格をもたらし、その年のレーガプロ最優秀指導者(第3部、第4部が対象)にも選ばれた。

 それが評価され、翌シーズンにはセリエAのカリアリの監督に抜擢される。開幕当初は5連敗を喫するが、内容を評価したクラブは解任に走らず続投を決める。

 そして、カリアリは快進撃を見せた。4-3-1-2という基本システムこそオーソドックスながら、各選手が淀みなく連動してボールをつなぎ、相手が強豪であろうと弱点を鋭くえぐってゴールを奪う。フィオレンティーナやラツィオ、ユーベなどからも勝ち点3をもぎ取り、チャンピオンチームのインテルには2戦で1勝1分とした。

 この活躍が、4-3-1-2のシステムで戦うことを希望していたミラン首脳陣の目に留まり、2010年に監督へと招聘される。ズラタン・イブラヒモビッチらを擁した強力な攻撃陣を操りつつ、「カンピオナートは守備で勝つもの」と堅実に組織守備も整備し、就任1年目で優勝をもぎ取った。指導者に転身してからわずか8年目、セリエAで3年目のことだった。

 ただ、その後ミランでは苦労を強いられた。不運にもクラブの経営が傾き、戦力の上乗せどころか主力が毎年1、2名引き抜かれ、キャリア晩年に差し掛かっていた一部のベテラン選手との関係構築にも悩まされた。

 戦力が整わない中、攻守両面でチームを機能させるべく戦術を柔軟に変えて対応するのだが、すると今度は2トップで攻撃的に戦うことを希望するシルビオ・ベルルスコーニ会長から批判され、「あれはサッカーを分かってない」などと外部で悪口を言われるのだ。それを受け地元メディアも、厳しい質問を浴びせる。記者会見では、仏頂面のアッレグリ監督の表情ばかりが目立っていた。

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