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アジア 7年前

波乱万丈のサッカー人生。元日本代表DF青山直晃がタイで挑む「弱肉強食」の戦い

text by 藤江直人 photo by Getty Images

“飛び級”でA代表に選出されるも…

北京五輪世代のチームでは長く中心的役割を担っていたが、本大会のメンバー入りは逃してしまった
北京五輪世代のチームでは長く中心的役割を担っていたが、本大会のメンバー入りは逃してしまった【写真:Getty Images】

 青山自身は、ベストのコンディションという自負があったのだろう。記者会見でのスリパン監督の言葉を伝え聞くと一瞬、驚いた表情を浮かべ、そして苦笑いを繰り返した。

「リーグ戦を含めて、ずっと負けていたので。何かを変えなきゃ、と思っていたはずなんですけど、それが僕だったと。要するにディフェンダーで、しかも外国人枠のなかの選手なので、失点を喫した責任はあると思うので。外されても文句は言えないですけど、それでも今日だけは出たかった。

 振り返ってみれば、ホームで逆転負けしたことは本当に痛かった。1‐1で、最悪でも1‐2で終えられたはずなのに、総崩れしてしまった。僕自身も同点にされたゴールに絡んでいたし、いまは何とも言えないですけど、もうちょっと(セカンドレグを)面白くできたかなと思っています」

 群馬県の名門・前橋育英高校から、2005シーズンに清水エスパルスに加入した。同期には滝川第二高校から加入したFW岡崎慎司(現レスター・シティー)がいる。先に頭角を現したのは青山だった。

 J1デビューを果たした、2005年10月29日の名古屋グランパス戦で初ゴールをゲット。何よりも空中戦を含めた対人の強さで、2年目の2006シーズンからはレギュラーとして定着する。

 反町康治監督(現松本山雅FC監督)に率いられ、2008年の北京五輪に臨んだ世代でも長く中心的な役割を担っていた。出場機会こそ訪れなかったが、イビチャ・オシム監督に率いられた新生日本代表の初陣となった2006年8月のトリニダード・トバゴ代表戦で、追加招集されたこともある。

 いわゆる“飛び級”でのA代表入り。順風満帆に映ったサッカー人生は北京五輪本大会の代表メンバーに選ばれなかったことで風向きが変わり、翌2009シーズンに負った右ひざ前十字じん帯損傷で大きく狂わされてしまう。

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