横浜F、選手バス運転手が体験したクラブ消滅「途端に腑抜けになってしまった」【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

2017年08月10日(木)10時29分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya
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プロ選手20何人分の命を預かる責任

 優勝が決まった瞬間? もちろん嬉しかったけど、細かいことはあまり覚えていないねえ。ただ、あの時の写真は残っているんだ。ほら、ここに写っているのが僕。嬉しさのあまり泣いていましたよ。

 もちろん優勝できたこともそうだけど、こんな年寄りを選手の皆さんが仲間として迎え入れてくれたことが嬉しかった。この時、僕は52(歳)かな。ゲルさん(ゲルト・エンゲルス監督)は11歳下だから、一番ジジイだったわけだよね。こんな年寄りを可愛がってくれた選手の皆さんには、本当に感謝しかありませんよ。

 試合後、ロッカールームに戻ったらドンペリが10本くらい用意してあって、もう大騒ぎでしたよ(笑)。そのあと新横浜まで移動して、サポーターの皆さんに優勝報告。だけど僕は駐車に手間取って見ていないんですよ。

 それからホテルに戻って、あれが本当のラストランでしたね。走行中、いろんなことを思い出しましたよ。僕は自分の指の数が足りなくなるくらい、いろんな仕事をやってきたけれど、ゲルバスのドライバーをやっていた時は相当に気合いを入れてやっていました。

 だってプロのサッカー選手20何人分の命を預かっていたんだから。選手の皆さんも、僕の運転を信頼しきってくれていたようです。今でもこうして目を閉じると、皆さんひとりひとりの顔が浮かんできますねえ。

 全日空スポーツへの出向が終わって、結局イースタンに戻ったんです。しばらくの間、お台場にあるフジテレビのハイヤーを運転していたんだけど、会社が吸収合併されちゃってね、バスもハイヤーもやらなくなったの。

 その後、千葉に引っ越してタクシー運転手をしばらく続けていたんだ。そしたらある日、ゲルバスが宮城交通で使われていることを知ったんだよね。

 もちろん塗装は変わっていたけど。バスの寿命って、20年はもつからね。しかもフリューゲルスの時、10万キロちょっとしか走っていなかったから、まだまだ十分に走れたと思いますよ。

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