幾度も苦境に陥ったドイツW杯予選。立ち上がったベテラン、「アブダビの夜」が転機に【アジア予選激闘史】

日本がW杯に初出場したのは98年フランス大会。それまではアジアの壁を超えることができず、また連続出場できているものの、楽に勝ち抜けた時はない。W杯に出場するのは並大抵のことではないのだ。18年ロシアW杯へ向け大一番を迎える今だからこそ過去の激戦を振り返りたい。今回は2006年ドイツW杯予選。2002年の自国開催を経て2大会ぶりとなるW杯アジア予選に臨んだ日本代表は、幾度となく苦境に陥っていた。(取材・文:元川悦子)

2017年08月29日(Tue)7時19分配信

シリーズ:ワールドカップ・アジア予選激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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3バックか、4バックかの論争を経て最終予選へ

1998年大会以来となるW杯予選に臨んでいた日本代表
1998年大会以来となるW杯予選に臨んでいた日本代表【写真:Getty Images】

 自国開催となった2002年日韓ワールドカップは予選免除だったため、日本代表が2006年ドイツ大会のアジア最終予選に挑むのは97年以来、8年ぶりのことだった。

 この頃のアジア予選は現在よりも序列分けが明確で、日本や韓国のようなAFC(アジアサッカー連盟)上位25か国は2次予選から参戦すればよかった。2次予選は4ヶ国ずつ8グループに分かれて戦い、各組1位が最終予選へ進出。

 日本は2004年2~11月にかけて行われた同予選でミラン・マチャラ監督率いるオマーンと同組になり、大いに苦しめられたが、初戦・オマーン戦(埼玉)で久保竜彦(解説者)が後半ロスタイムのミラクル決勝弾をゲット。苦戦を強いられた3月の敵地・シンガポール戦で高原直泰(沖縄SV)、ベテラン・藤田俊哉(リーズ強化担当)らがゴールを決めるなど、試合毎にヒーローが生まれて、順当に最終予選行きを決めた。

 2005年2月にスタートした最終予選は北朝鮮、イラン、バーレーンと同組に入った。このうち上位2位が本大会切符を手にする。5チームで2位以内を争う現行形式よりやや難易度は低かった印象だ。それでも、簡単に勝てないのが最終予選。2月の初戦・北朝鮮戦(埼玉)から日本はいきなり追い込まれる形となった。

 2次予選初戦・オマーン戦で中村俊輔(磐田)、柳沢敦(鹿島コーチ)ら体調不良の欧州組を強行先発させて失敗した教訓もあり、ジーコはこの試合では帰国したばかり中村、高原の両欧州組を控えに回してゲームに入った。

 基本布陣は3-5-2。2002年10月にジーコジャパンが発足した当初は中田英寿、中村、小野伸二、稲本潤一(ともに札幌)の「黄金の中盤」を軸に据える4-4-2をベースにしていたが、2004年春の中田のグロインペイン発症による長期離脱、同年夏の2004年アジアカップ(中国)連覇などを機に3-5-2へシフト。そのまま最終予選に突入していた。

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