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Jリーグ 7年前

「誰でもいい、助けてくれ」。横浜F最後の監督、エンゲルスが直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

天皇杯は「十分にチャンスがあると思っていた」

インタビューには日本語で応じてくれたエンゲルス氏
インタビューには日本語で応じてくれたエンゲルス氏【写真:宇都宮徹壱】

(合併が不可避だと悟ったのは)僕は遅い方だったね。リーグ戦が終わるタイミング(11月14日)くらいかな。選手はそれより少し早いタイミングで、次の行き先のクラブとサインしていたね。

 そのあとの天皇杯も、あまり出番がなかったサテライトの選手を出して、(新しい移籍先の)アピールの場にしようという意見が選手側から出ていた。

 僕としては、天皇杯もベストで戦って、より多くのタイトルを目指すべきだと考えていたし、そう選手たちにも伝えていた。最終的には、彼らの意見を尊重することにしたんだけどね。結局ベストメンバーで行くことになって、僕はちょっとホッとしたよ。

 僕がなぜホッとしたかというと、天皇杯では十分にチャンスがあると思っていたから。チャーリーからチームを引き継いで、実際の成績以上に実力があると思っていたし、いいメンバーも揃っていた。(イゴール・)レディアコフだけが移籍の問題でチームを離れたけれど、それ以外は全員が天皇杯でも戦ってくれることになった。

 それにカップ戦は一発勝負だから、何が起こるかわからない。相手が鹿島(アントラーズ)でもジュビロでも、十分に勝機はあると思っていたね。

(3回戦の)大塚FCは4-2、そして(4回戦の)ヴァンフォーレ甲府は3-0だったかな。そのあと(準々決勝の)ジュビロ、(準決勝の)鹿島と強豪との対戦が続いたけど、僕は大塚や甲府よりもやりやすいと思った。

 強い相手のほうが負けても恥じることはないし、むしろ選手たちのモチベーションが高まっていったからね。だから準々決勝(2-1)も準決勝(1-0)も、ウチが先制して上手くゲームコントロールをしながら勝利することができた。もちろん危ないシーンもあったけれど、そんなに不安を感じることはなかったね。

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