「誰でもいい、助けてくれ」。横浜F最後の監督、エンゲルスが直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

かつて、横浜フリューゲルスというJクラブがあった。Jリーグ発足当初の10クラブに名を連ねた同クラブは、1999年元日の天皇杯制覇をもって消滅。横浜マリノス(当時)との合併が発表されてから2018年で20年となる。Jリーグ発足から5年ほどで起きたクラブ消滅という一大事件を、いま改めて問い直したい。【後編】(取材・文:宇都宮徹壱)

2017年10月13日(Fri)10時29分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images
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「きっと誰かが助けてくれると僕は信じていた」

横浜フリューゲルス最後の監督となったゲルト・エンゲルス氏
横浜フリューゲルス最後の監督となったゲルト・エンゲルス氏【写真:宇都宮徹壱】

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(10月29日の)練習の前に、選手とスタッフが会議室に集められて社長(山田恒彦)から合併に関する説明があった。ぜんぜん納得できない人、「(合併阻止のために)戦おう!」と言う人、いろいろいたね。

 実は僕自身、この時はあまり落ち込んではいなかった。確かにシリアスな話ではあったけれど、スポンサーが撤退する話はドイツでもある話だし、それでもクラブは残っていくはずだと思っていたから。

 クラブって、その地域や市民の共有財産であり文化でしょ? スポンサーが撤退するにしても、別の企業だったり自治体だったり、必ずとこかが救済に名乗りを上げてくれる。フリューゲルスも、きっと誰かが助けてくれると僕は信じていた。

 もちろん、クラブ側も多少の痛みを覚悟する必要がある。予算を半分にしましょうとか、山口や淳宏やサンパイオを売りましょうとか、来季からはユースの選手を中心に編成を考えましょうとか。ドイツにはバイエルンのようなビッグクラブがあれば、うんと小さな予算規模で頑張っているクラブもたくさんある。

 でもあの頃のJリーグは、どのクラブもだいたい同じくらいの予算規模でやっていたよね。だから佐藤工業が抜けて、全日空だけになったら無理だ、という話になってしまった。「予算を抑える形でクラブを存続させよう」という発想がなかったよね。

(三ツ沢での最後の試合で「誰でもいい、助けてくれ」と叫んだことは)今でも覚えているよ。どこかで何とかなると思っていたし、選手も署名活動を一生懸命やっていたからね。でも、結局は誰も助けてくれなかった。

 いや本当は、救済しようという企業もあったんじゃないかな。僕が知らないところで、いろいろなやりとりはあったと思う。でも、どこかでブロックされたんだろうね。

 僕は今でも、合併せずにフリューゲルスは存続できたと考えている。いくらでもやりようはあったのに、それを断念させる「何か」が働いたんだと思う。

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