名古屋のジョー獲得でブラジルに広がる波紋。自国のW杯戦士が流出、断れなかったオファー

2018年01月04日(Thu)10時50分配信

text by チアゴ・ボンテンポ photo Getty Images
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“終わった選手”からの劇的復活。「ダービーキング」の異名も

サンパイオ
かつては磐田でプレーしたドゥンガ(右)や横浜フリューゲルスなどで活躍したサンパイオ(左)らブラジル代表の主力クラスが多くJリーグに在籍していた【写真:Getty Images】

 だがCSKAモスクワやマンチェスター・シティなど欧州での経験や、2013年コンフェデレーションズカップ優勝、2014年W杯出場などブラジル代表でのプレーを経て、ジョーはキャリアの下り坂に差し掛かっていた。

 2014年から15年にかけては、13ヶ月間無得点という時期もあった。その後、UAEのアル・シャバブや中国の江蘇蘇寧へ移籍。江蘇ではわずか5ヶ月で構想外とみなされ、その後の4ヶ月間はプレーしないまま2016年11月にコリンチャンスへと復帰した。中国で見捨てられた29歳の彼は、もはや終わった選手だと考える者が多かった。酒に溺れ、ナイトクラブ通いを繰り返す彼のプロ意識にも疑問が呈されていた。

 だがジョーは、その時こそが変わるべき時だと決意していた。酒を断ち、キャリアを立て直すことに集中した。過去に例のないほど必死に練習し、最高の状態を取り戻し、ピッチ上での好パフォーマンスで批判を見返した。コリンチャンスの宿敵パルメイラス、サンパウロ、サントスとの試合ではいつもゴールを奪い、「ダービーキング」の異名を取った。

 大一番を決定的な仕事をすることも多く、フルミネンセを3-1で破って2017年のリーグ制覇を決めた試合でも2ゴールを記録。コリンチャンスのレジェンドとなった彼が、今後も長期間このチームでプレーし、できればここで引退してほしいとサポーターが期待するのも自然なことだった。

 1990年代には、セレソンのレギュラー級も含めて多くの有名ブラジル人選手がJリーグでプレーしていた。例えば1998年フランスW杯の先発メンバーだったドゥンガとセザール・サンパイオはそれぞれジュビロ磐田と横浜フリューゲルスに所属していた。

 だが現在では事情が異なる。今でも日本でプレーする外国人選手の中で最も数が多いのはブラジル人だが、その多くは母国でさほど知られていない選手たちだ。ブラジル全国選手権1部ではあまりチャンスを得られない選手たちであったり、2部や3部でプレーしていた選手たちであったりする。だが、ブラジルのトップリーグの最高の選手が日本へ渡るとなれば全く別の話だ。

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