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代表 6年前

ドルトムントで成熟したポーランドの右サイド。ロシアで待つ「本当に本当のエモーショナルな瞬間」【W杯 日本を襲う猛獣たち】

シリーズ:W杯 日本を襲う猛獣たち text by 本田千尋 photo by Getty Images

ゲーゲンプレッシングに欠かせない存在

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ヤコブ・ブワシュチコフスキ【写真:Getty Images】

 こうしてピシュチェクがドルトムントと一体化する一方、右サイドでコンビを組んだブワシュチコフスキはチームを離れることになる。15年の夏、クロップに代わってトゥヘルが監督に就任すると、フィオレンティーナにレンタルで放出される。新指揮官の構想外となった。翌16年8月にはVfLボルフスブルクに完全移籍。

 ウィスラ・クラクフから加入したのは07年7月。ピシュチェクがやって来る3年前のことだ。

 他でもない当時の監督クロップが、クーバ(※ブワシュチコフスキの愛称)のファンだったという。

 感情豊かな指揮官はポーランド人アタッカーを右サイドで重用。クーバは、決してテクニックに秀でていたわけではなかったが、豊富な運動量、走力、素早い攻守の切り替えを武器にドルトムントの戦いに貢献。その活躍は、05年に破産危機に瀕したクラブが復活を遂げていく過程にちょうど重なる。そうしてクーバも“顔”になっていった。

 熱血監督は次のように評価する。

「クーバは我々にとってトータルで重要だ。彼はシンプルに純粋にスピードがある。それは彼にとっても、我々にとっても良いことだよ」

 ブワシュチコフスキも、クロップのコンセプト=ゲーゲンプレッシングが機能する上で欠かせない存在だった。

 そして同郷のピシュチェクと右サイドでコンビを組み、10/11、11/12シーズンのリーガ2連覇を果たし、12/13シーズンのCL決勝進出に貢献する。12/13シーズンは14ゴール15アシストと、キャリア最多の結果を残したシーズンでもあった。思い切りの良さと正確なシュートテクニックも、無骨なポーランド人MFの武器である。

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