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撃ち込まれた銃弾が応援の証。狂気のアルゼンチンサッカー、その熱を唯一の日本人プロ選手が語る【インタビュー】

text by カルロス矢吹 photo by Yabuki Carlos

僕の中では海外=アルゼンチン、それ以外の選択肢がなかった

 マリノスには15歳まで在籍し、高校は名門帝京第三高校に進学。経歴だけを見るとエリートのそれに見えるが、そこに至るまでには紆余曲折があった。

「マリノスではJr.ユースからユースにも上がれたと思うんですよ、試合にも普通に出ていたので。でも、その時は遊ぶ方が楽しくなってきて、サッカーが楽しくなくなって、中三の途中でマリノスを辞めちゃって。

 そしたら地元の先輩で帝京第三高校に行ってた先輩、フットサル仲間だった人が“お前は辞めんなよ”って誘ってくれて。そうやって話をしてもらっているうちに段々やっぱサッカーやりたいな、と思うようになって。その先輩と同じ高校に行くことにしました」

 後藤が在学中に、帝京第三高校は山梨県代表として全国高校選手権に一度、インターハイに二度出場している。高校卒業を待たずして、後藤はアルゼンチンへ入団テストを受けに現地へ渡った。

「フォワードとして1年生から一軍にはいたんですけど、素行が悪くて三軍にいったりして、どっちかっていうと学校では煙たがれてたんです。そういうのもあって、卒業後特にどこかからオファーも来なくって。だけど、自分はプロとして勝負の世界に飛び込みたくて。それで海外に行こうと決めました。

 僕の中では海外=アルゼンチン、それ以外の選択肢が自分の中に無くて。その頃は全くスペイン語出来なかったんですけど、留学業者に頼んで、卒業直前の2月にアルゼンチンまで入団テストに行かせてもらったんです。“いけんだろうな”と思ってアルヘンティノスのユースチームを受けたんですけど、行ってみたらめちゃくちゃみんな上手くて。10ヶ月そこで練習してたんですけど、公式戦には出られなくて。それからは自分でチームを探しました」

 怪我の治療と貯金を作るために、後藤はこの後一旦日本に帰国した。治療が終わりアルゼンチンに戻った後藤は、今度は業者に頼らずに自分の足で所属チームを探し始めた。

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