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Jリーグ 5年前

2002年Jリーグ。W杯初の決勝T進出! お隣韓国は? 磐田が完全制覇、J2で“世界基準”【Jリーグ平成全史(10)】

シリーズ:Jリーグ平成全史 text by 編集部 photo by Getty Images

エコノミー症候群を乗り越えて

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2002年Jリーグ結果

 これまでチャンピオンシップでは、勝負強さが光る鹿島アントラーズの後塵を拝することもあったジュビロ磐田。この優勝決定戦に持ち込ませないためには両ステージで優勝するしかない。

 それを実現したのが、2002年だった。1stステージは横浜FMとベガルタ仙台との混戦となったが、磐田が最後まで失速することなく駆け抜けた。2ndステージも圧巻の強さで進撃。最後は7連勝を飾ってステージ優勝を果たした。1st、2ndとも制覇した磐田が完全優勝を成し遂げている。

 中山雅史、名波浩、藤田俊哉らが円熟味を増していく中、最強ストライカーが誕生した。黄金世代の一人である高原直泰は、アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズで揉まれて磐田に復帰。日韓ワールドカップでの活躍も期待されたが、静脈血栓塞栓症(エコノミー症候群)を発症しメンバーから漏れた。失意の中、小野伸二、稲本潤一ら切磋琢磨してきた仲間が活躍する姿を外から見ることしかできなかった。

 しかし、これで腐らないのが高原という男である。ワールドカップによる中断が明けるとゴールを量産。左右どちらの足でも正確なシュートを打つことができ、ヘディングも強い。裏に飛び出せば相手を置き去りにし、ボックス内での冷静さは目を見張った。名波を筆頭とした日本最高クラスのパスの出し手の存在、FWとは何かをプレーで体現する中山が近くにいたことも大きいだろう。先輩たちのサポートを得た高原は、まさに無双状態。26ゴールを挙げ、得点王に輝いた。

 岡田武史監督の下で成長していたコンサドーレ札幌だが、前年限りで同監督が退任すると2002年は苦戦を強いられた。得点王のウィルが移籍し、新外国人選手も振るわず。結局この年は監督交代を繰り返すもJ2降格となった。

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