中田英寿は「ふてぶてしいくらいの自信があった」。歴史的勝利を生んだ大胆采配の裏側【日本代表平成の激闘史(4)】

2019年05月15日(Wed)10時00分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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絶体絶命の窮地

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韓国戦に臨む日本代表の先発メンバー【写真:Getty Images】

 それでも、初戦・ウズベキスタン戦はカズの4ゴールを含む大量ゴールで6-3の白星発進。続く9月19日のUAE戦を0-0で引き分けたところまでは問題なかった。

 しかし、9月28日のホーム・韓国戦を1-2で逆転負けしたところで一気に暗雲が立ち込める。当時のアジア枠は3.5で、日本は韓国と同じこのグループで1位にならなければ、フランス切符を手にできなかったからだ。2位になれば第3代表決定戦に回ることになる。

 それだけは避けたいと誰もが思っていたが、そのシナリオが現実味を帯びてきた。実際、筆者も韓国に負けた翌日に早速、旅行代理店に行ってその試合が行われると目されたマレーシアのクアラルンプール行きの航空券を購入した。早い段階から覚悟は決めていたのだ。

 しかしながら、チームはさらなる混迷に陥る。10月のカザフスタン・ウズベキスタン遠征で、ドローに終わったカザフスタン戦後に加茂周監督が更迭され、ヘッドコーチだった岡田が昇格するという予期せぬ出来事が起きた。

 報道陣の末席にいて現地に行っていなかった筆者は「日本代表を取材しようと思うなら、全試合を追っていないとダメだ」と痛感させられ、自身のスタンスを変える決意をした。そういう意味でも、この更迭劇は非常に大きなものだった。

 ただ、日本代表は岡田体制になってからも劇的な浮上は果たせず、韓国にいち早く首位通過を決められた。10月26日のホーム・UAE戦が1-1のドローに終わったことで自力2位が消滅。暴徒化したサポーターによるカズへのイス投げ事件も起きた。

 もはや絶体絶命の窮地に追い込まれた日本はここから息を吹き返し、11月のアウェー・韓国戦とホーム・カザフスタン戦に連勝。第3代表決定戦行きを決めた。

 その地がクアラルンプールではなく、ジョホールバルに決まったため、筆者は結局、国内便を追加購入する羽目になったのだが、マレーシア行きチケットがムダにならずに済んだ。奇しくもこの日は友人の結婚式だったのだが、それも丁重に断って現地入り。大一番に備えた。

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